車椅子バスケットボール

 

九州別府のはずれに 身障者自立支援の「太陽の家」がある

 

1964年東京パラリンピックの時代 一人の医師中村裕氏が 

 

日本の身障者の自立のため立ち上がり

 

様々なバッシングや無理解の壁を感じながらも 

 

身障者の仕事や生活スポーツと

 

今日に至る基礎を 万全の思いをこめて築き上げた

 

別府亀川の町は 老いも若きも 体に不自由がある人も

 

普通に働き普通に仕事し 一緒に暮す町になっている

 

 

孫が里帰りしたときに

 

太陽の家を自由研究にしてみたいというので 連絡を取ってみた 

 

先方も快く引き受けてくれ

 

丁寧な説明と共に 夜間の車椅子バスケットボールの見学を勧めてくれた

 

小4と中1の孫2人初めて車椅子に乗って 使い勝手を学んだ 

 

ちょっと慣れたころそのまま自然の流れのままゲームに参加した

 

元オリンピック選手も混じるチームの中 

 

二人は必死に車輪を動かし ボールに手を伸ばす 

 

汗だくになりながらも 中1の男の子がシュートを決めると 

 

仲間から「おーやったね すごいぞ!!!」とハイタッチの嵐が舞う

 

 

試合後のコメントに小4の女の子が

 

 「普通に歩くより車椅子でいくほうがメチャ楽しかった!!!」

 

 といったら仲間から「お~!!!」と拍手喝采をもらった

 

 

すきっ腹も忘れて 孫たちは目を輝かせて帰宅した 

 

なんだか一回り大きくなったみたいで たくましくなったようだ

 

2020年の東京も 別府亀川の町のように 

 

皆が一緒に暮らせる街になってることを 期待したい

 

 

その夜の別府湾も 月光を浴びてキラキラ輝いていた・・・

 

 

                            2017,8,16

                                     M,S,

 

 

 

今年無事オリンピックは終了した

4年前のこの体験の時、東京も別府のこの街のように

身障者も、老いも若きも同じように生活できるようになるといいなと考えたが

さて、東京は変わったのだろうか?