基礎体温をつけているものの、まじめに分析することはなく、今日まで来た。


高温期が続いた、ガクンと下がり、あぁ、妊娠していないと気づく・・・という一連の流れを


繰り返していたのだけれど・・・



赤ちゃんができていないという事実に


どこか安心するところがあった。



妊娠できないのではないかと不安に思うこともあったけれど、


私にとって、母親になるというのは現実味がなくて、遠い出来事のようだった。



不妊治療をしている人が、以外にも周囲にいて、


「レクサスが買えるくらい」の費用を投じていると聞いた。



私には、理解できない。


自分の体に薬を入れたりしてまで、子どもが欲しいとは思えない。



年齢を重ねながら、ほかの人の妊娠のニュースを聞きながら


お金を払って、苦しい治療をする人の、内面の葛藤を想像すると、


もう、うなだれてしまう。




誤解を恐れずに言えば、どうしても子どもを育てたいという思いがない。


ときどき、駅やスーパーで


1歳くらいの子を見れば、それで十分癒される。



そんなこと、誰にも言えない。




結婚前から今日まで、頻繁にかけられた


義母の「あなたも親になったら強くなるよ」という言葉。


弱いと思われているという衝撃と、急かされているようなプレッシャーに打ちのめされた少し後に



私、赤ちゃんがほしくないのかもしれない・・・


という思いが、体からはみだしそうになる。




結婚した20代の女が、そう思ってはいけない気がして


自分の心を直視できなかった。



だけど、間違いなく、私は妊娠を恐れている。


こわい。



恐怖と不安は違うものらしいけど、この場合、不安なんだろう。



子どもがかわいいと思えるようになったのは、ここ2、3年。


もともと子どもが好きなわけではない。



子どもが何も考えず自由にしているということが嫌だった。


自分の成育歴をたどって、ケアをするのがいいのかもしれないと、ここ数日思う。



先に親になった人はいう


「自分の子どもはちがうよ」と。



ならば、なぜ、多くの児童福祉施設があるのか。


私にはきちんと、母親になったら作動する、愛情があるのか。




霊視された内容では、今月妊娠の予定。


「旦那さんに良く似た、すごくかわいい女の子。1月か2月におなかに入る」。


それを言ったのが、いとこなものだから、「ほえー」では済まされない。




お正月にそれを聞いてから、毎月生理が来るかどうか、心配している。


もし、妊娠してたら、喜べるだろうか。



主人のことを100%信頼できているとはいえない気分の時もあり、


今は、待って・・・というのが本音かもしれない。




結婚したら、次は子どもを・・・


と、いう「アタリマエ」に流されて、今日まで憂いの日々だった。



年齢を考えたら、タイムリミットはそう遠くない。


だけど、新生活に慣れていないこの状況で


まだ、一人の夜に眠れない私が、


妊娠という”非常事態”に対応できるのか。




何か起きたとき、がんばれる強さはあるか。


昨年、いとこと友人は、流産した。


先月は主人の職場の同僚の奥さんも。


そんなことも頭をよぎる。



つわりはきついって聞くし、吐き気がこわい。


吐き気がこわくて、飲酒をしない私が、つわりがあったとき


どうなるんだ。



両実家は遠い。


周りに頼れる人はいない。


あぁぁぁぁぁ・・・




まだ、妊娠していないのに


妊娠のことを考えて、落ち込む。


非常に極端で、忙しい生活。


(専業主婦なので、一見、暇です。)



考えても仕方ない。


妊娠したら、出産の日まで待つのみ。


どんな妊娠ライフになるかは、自分次第。


人生できっと多くても5回も経験できない。


奇跡。



私の中で、命が育つ。


私から、命が生まれる。



こんな私でも思う。


子どもがいない人生と、子どもがいる人生の


どちらかを


選べる権利があるのなら



子どもがいる人生を、経験してみたい。





いろんな思いが、浮かんでくるのだけれど


やがて、ここに落ち着く。



「私は、神様の大いなる計画の中にある。私たち夫婦が授かるのならば、大切に育てよう。」