Rさん 「はじめまして。早速なんですが、聖書から『愛』について書きます。・・・山を動かすほどの完全な信仰をもっていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることはありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と愛と希望です。その中で一番すぐれているのは愛です。 -1コリント13:2-8,13[新改訳]」


Rさん 「聖書が語る最大の愛とは?・・・わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。 人がその友のためにいのちを捨てるという、 これよりも大きな愛は誰も持っていません。  -ヨハネの福音書15:12-13[新改訳]」


Rさん 「このHPは、たしかー、(-_-)宗教には否定的な立場をとると認識しています。ちがったらゴメンナサイ。そして、問答集NO.9 [宗教・信仰について]を拝読させていただきましたが、なかなか奥が深いお文章で感動いたしました。お一人でかいたのかな?だったらすごいと思いますよ。もちろん一部、不可解に思ったところはありますね。(^_^;)ちょっと宗教には、あまりにも否定的とわたしには感じられましたね、はははは。(^_^;)マザーテレサさんとか、シュバイッツー牧師とかキング牧師とか、、、ああいう偉大な方も、中にはいますので、、、そういうのを考えて言ってほしいです。それと、始めのページの一番したの所に、『感謝 感謝...合掌』と大きく書かれていましたが、合掌とは、仏教的思想ではないのかな・・・。なんか偉そうに言っちゃいました。違ったら、ゴメンナサイネ。」


有為 「Rさん、メッセージどうもありがとうデス。・・・私のHPへの疑問点等についてなんだけど、色々有って全部答えるには紙面が足りないので、取り敢えずもう一度・二度・三度・問答集No.9、はじめに、あとがきを読み返して見て下さい。私なりの答えが見つかると思います。合掌=仏教とは、Rさんの固定観念だとおもいます!仏教以外でも合掌は使いますし、キリスト教でも指を組んでですが手の平と平を合わせるじゃないですか!あれも合掌の一部だと理解してます。そして、合掌と言う行為・形には人間学的・科学的等、宗教を超えた意味・意義・メカニズムが有るのですョ。・・・そして、『愛』についての早速の投稿、本当にありがとうございました。聖書の中での愛は参考にさせて頂きますが、私が真に学びたかったのは『愛』についての貴方自身の考え・認識・理解なのです。」


Rさん 「キリスト教でも祈るときは、手をくみます。しかし、なぜ祈りの時に、手をくむのかは考えたこともないし、誰かに教えられたこともありません。しかし、祈る時は手をくんでいる。不思議ですね。(-_-)心を神だけにむけ集中させるために手をくむのかな・・・。よくわかりません?」


Rさん 「聖書はだめですか。(^_^;) ではわたしの個人的考えでは、愛とは人に何か要求したり、人を変えたりすることではないと思っています。その人のありのままの姿を愛することを愛というのでは。まさに神の愛も、条件付きの愛ではないと思います。・・・これこれの条件を満たしたら愛するとか、赦してやろうかというのではなく、無条件の愛なんだと思います。だから私たちも、人間を愛するとき自分の都合のいい人、考え方のあっている人、自分の役に立つ人だけを好きになるのは少しおかしいのでは?と考えています。・・・フォッフォッフォッ!!」


導師 「Rよ、メッセージありがとう!君自身で考えた、君自身の『愛』についての認識とてもよかったよ!あれで良いのじゃ。とにかく、どんなにくだらないと思うものでも、どんなに素晴らしいと思うものでも全て受け入れた上で、何度も自分自身で熟考してみることが重要なのじゃよ。・・・それとじゃ、わしらは何も聖書はダメだなどと言ってはおらんぞ!・・・その事と上の事について少し話しておこう。(有為 : 私は宗教を否定も肯定もするつもりは有りませんョ。中立的な立場で観察し・学んで行くよう心掛けています。客観的に観察した宗教の現状を問答集にて書かせて頂いただけです。『全ては無駄なし、全ては学び』ですからネ(^v^))」


導師 「聖書にしろ、仏典にしろ、論語にしろ、ヴェーダにしろ、五時八経説にしろ何にしろ、それらはそれらを考え出した・創り出した・関わり合った者達の考え・思想・認識・理解であって(神から受け取ったものをそのまま記したものだ!と言いたいじゃろうが、人間と言うものは必ず自分なりの色を付けたがるものじゃよ。そして、神と言うものについても少し考えねばなるまいのぉ)決して君自身の真理ではないのじゃよ。それらは感謝を持って参考にし、学ばせてもらい、自己の意識進化の為に利用させてもらうべきもので、それらは(全ての現時点での知識・学び・認識・理解)いずれは流して(卒業して)行かねばならぬものなのじゃ。更なる学びを得て行く為にのぅ。それが意識進化の道じゃよ!決して、それらをそのまま信じ、信仰し、崇拝し、依存してはならぬのじゃ。依存・そして執着は『停滞』なのじゃよ!・・・『意識進化の道は自立の道』じゃ!」

導師 「今日は以上じゃが、君の言葉を借りればわしも『偉そうに言っちゃいました』なのじゃろうが、わしはこれでいいのじゃよ。なぜならば・・・これがわしのキャラじゃからネ・・・フォッフォッフォ!(ぉぉそうじゃ!君はわしのまねをしとるつもりじゃろうが、少し気品と気高さが足りんの~。わしのはこうじゃ・・・フオッッ、フオッッ、フオッ!・・・ん?前のと少し違ったかのォ~)」


Rさん 「導師、あなたのキャラおもしろすぎます。あなたの笑いおかしくておかしくて。(笑) 素晴らしいデス、本当にありがとうございます。導師さんのいうように、今の認識が真理だとは思わないで、学び続けることを大切にして生きていきたいです。考えるだけではなく、自ら実行して・・・人との関わりの中で赦し会ったり・・・愛し合ったり、時には傷つく時もある、そんな中で学び続けていきたいと決心いたします。・・・人生はあまりにも複雑であり、我々の知識の現状において理解しうる限りでは、固定した学説の枠の中に閉じこめるには、余りにも非論理的なのである。 -ジャワハルラール・ネール[1889-1964](インド:政治家)- ・・・考えが人間の偉大さを創る。 -B.パスカル[1623-1662](仏:数学者.哲学者.物理学者)-」



上の記事は、私の旧HPの掲示板へ書き込みをして下さったRさん(男性)のメッセージです。ありがとうございました!!(1999年10月分)