導師 「今回は、『愛』について解説してみようと思うのじゃが、この『愛』というテーマは実に広大で深いテーマだけに、わしとしてもある程度の認識・理解は有るのじゃが、まだキチンと整理出来ておらん状態なのじゃよ。よって今回は、『特別編』として、わしも解説するのじゃが、その他にわしらにとっての光の友である数人の賢者にゲストとして登場して貰い、それぞれの現時点での『愛について』の認識・理解を解説して貰おうと思うのじゃ。皆が、それぞれのメッセージを『等価』として受け入れ、良く熟考し、自己の認識・理解へ至る為の参考として欲しいのじゃ!」
光 「わ~すごい!今回は色々な人の理解を学ばせて頂けるのね。たのしみ~。皆さん、宜しくお願いします!・・・毎回、導師さんの解説ばかりでアキアキしていたところヨ・・へへ」
導師 「なんじゃと!!!もう解説してやらんぞ!」
光 「冗談よ、冗談!感謝してますよ、導師さまさま!・・・エヘヘ」
英知 「うれしいですね~。たまには、こういう企画も良いと思います。今回もまた、多くのことを学べそうです。宜しくお願いします」
導 「それではまず、わしなりの『愛』についての認識・理解を少し解説しておこうかのぅ。この愛というものを大きな意味で捉えるならば『存在そのものが愛である』と言えるじゃろう。これはどう言う事かと言えばじゃ、この問答集でも色々と解説して来たことなのじゃが・・・君らの存在理由というのは、大いなる存在自身の更なる進化の為に分身として創造された君らが進化して行くということじゃったのぅ。・・・そして、君らが進化して行く為には日常で君らの周りに見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、そして出会うもの・人・事象などなどの全てを観察し、体験し、学び、理解して行く事だとも言って来たのじゃが、・・・これはすなわち、『全ては無駄なし、全ては学び』と言うことなのじゃよ。・・・よって全ての存在は、自己を、そして全ての意識体を学ばせ、進化させる為に存在しておるのじゃネ。・・・自分を進化させる為に全てが存在してくれている・・・これほどの愛が有るじゃろうか?」
導 「そして全ての存在は、他の存在が無ければ成り立たない、ということも言えるのじゃ!・・・自分という存在は、他人・動植物・微生物・自然・他の様々な意識等が存在しなければ成り立たない(存在できない)・・・逆に、それら他のものは自分という存在が無ければ成り立たないと言う事になるのじゃが理解出来るかね?・・・熟考してみなさい。・・・そして我々全ての存在は、大いなる存在の分身なのじゃから、大いなる存在が無ければ成り立たないことは判るのじゃが、これも逆に、我々全ての存在が無ければ大いなる存在(創造・神など)も、存在として成り立たないのじゃよ!・・・どうじゃね、全ての存在そのものが、そして君ら自身の存在そのものが『愛の顕現』だということなんじゃよ!」
導 「そして、この大きな意味での『愛』から様々な愛が枝分かれして愛情・愛欲・恋愛・同情・犠牲愛等が創造され善悪が創造されて行ったのじゃよ。・・・そして、そこから更に小さな愛へと枝分かれして行き、それら一つ一つの小さな愛に対しても百人百様の捉え方、感じ方、考え方が創造されて行くということなのじゃね。・・・そして、ここで重要な事は、それら大いなる愛から小さな愛に至るまで、そして善も悪も偽善も『全ては無駄なし、全ては学び』であり、『全てが愛』だということなのじゃ!・・・このことはとても重要なことじゃからして、それぞれがしっかりと熟考してみることじゃね」
英 「はい、有難う御座いました。愛というものの概念としては大体判ったのですが、その愛というものを体感として学び、理解して行くにはどうすれば良いのですか?」
導 「それはじゃ、『全ての存在との一体感』というものを感じることじゃよ。この一体感と愛について、わしの系の集合意識からメッセージが入っておるので紹介してみよう」
導師系集合意識 『愛についての考察』
愛とは、自己の生命が、万物に宿っている事を完全に認識する事である。
動植物、同胞、あらゆる生命形態、全宇宙と霊的宇宙の存在物の中に、
自己との一体感を体得する事である。
愛は、絶対的知識であり、絶対的感覚であり、全宇宙と、
霊的宇宙のあらゆる生命と、太古の発生期に共存していた。
絶対的英知によると、各生命は、他の生命の一部であり、
その一部は、何れも同じく或る独自の存在の一部となる。
人間の中に知識と、理解力、思考、感情の英知が生まれ、
全ての生物と共に生き、
自分が、動植物、同僚、粗野ー又は純良物質的生命体、全宇宙と
それを超えた全存在の中に生きている事を体得する時、
その一体感は言葉に尽くせない絶対的確実なものとなる。
・・・それが愛である。
光 「う~ん。ありがたいけれど、何か表現が硬くて私には良く理解できないワ・・・・・ようするに愛を体感するとは、どう言う時にどう言う状態で感じ取って行くものなの?」
導 「フォッフォッフォッ!中々愛と言うものが掴みきれんで、もどかしいの~。・・・しかしじゃ、この『愛』という広大なテーマを体感して行くには、自分自身で自分なりに掴み取って行くことが基本なのじゃよ。何せ、感じ方は百人百様じゃからの~。・・・そして、どれが正しいと言うものは無いのじゃ!その時その時に自分が感じたものこそが、その時の自分なりの正解であり理解なのじゃからのぅ。・・・そして、それにこだわらず更なる愛を見つけて行こうとする姿勢が進化に繋がるのじゃよ」
光 「・・・・・」
導 「よろしい!それではどういう状態が愛の体感へと繋がるのか、そのヒントを一つ述べてみよう・・・・・それは『感謝』というものじゃよ!何でも良い、君が何かを観察したり熟考することにおいて、そのものの存在が自身にとって、そして他のものにとって大変に貢献してくれている・・『ありがたい』と心の底から感謝の念が湧きあがった時が、そのものの存在から愛を体感することが出きるのではないかの~。・・・これは《問答集No8.感謝について》をもう一度復習してみれば少しは理解出来ると思うのじゃが、そこに出ている肛門の例えをこれに当てはめてみれば、肛門という器官一つにも愛を見つけることが出来るのではないかのぅ。」
導 「しかしじゃ、先にも述べたが、これはわしなりの愛を体感する為の一つの方法であり、状態であり、感じ方であり、理解であるのじゃからして、決してこれが君にとって正解というものではないのじゃ。・・・君は君なりの愛を自分自身で掴み、体感して行かねばならないのじゃからネ!・・・わしとて、更に学び進化して行かねばならぬのじゃからして、これが絶対正しいとは思っておらんよ。『固定は停滞』じゃからね!参考とするだけにしておくことじゃ。・・・良いね!」
光 「はい、わかりました。少し掴めそうな気がして来ましたワ!参考にしま~す」
英 「導師さん、解説有難う御座いました。・・・そろそろゲストの皆さんに登場して頂きましょうよ」
導 「そうじゃね、わしのウンチクはこのくらいにして、賢者達(光の友)の『愛について』の認識・理解を聞かせて貰うことにしよう」
光 「それでは皆さん、お待たせしました。・・・唄は流れる貴方の胸に・・?もとえ!・・・ゲストの皆さんの愛についての解説です。どうぞ~~~」
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賢者A 「「あらゆるものに愛を感じられるようになる」とはワンネスといわれる宇宙意識という実体の現れが、この物質世界であるという考えに基づいています。そのワンネス、宇宙意識とも呼ばれるものが前出の「愛」です。従って、「神はどこにでもいる」と言われていたものと同じではないかな?そして、それは「無条件の愛」「無償の愛」とも言われていて、E・キューブラー・ロス博士は、「人は、この世に『無条件の愛』を学びにやってきた」という意味のことを言っています。」
「ニール・ドナルド・ウォルシュさんの「神との対話」では、「学びではなく、すでに知っていることを思い出す」と言っていますが、言葉の違いは、見方の違いに過ぎないと思います。さらにニールさんのは、複数のことを言っているかもしれませんが基本は同じことを言っているのだと思います。つまり、私たちの中には「神・愛」が内在している、「神のあらわれである」ということだと思います」
賢者B 「聖書から「愛」についての記述です。・・・山を動かすほどの完全な信仰をもっていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。・・・愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。・・・すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることはありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と愛と希望です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 -1コリント13:2-8,13[新改訳]
「聖書が語る最大の愛とは?・・・わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これが私の戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。」-ヨハネの福音書15:12-13[新改訳]
「わたしの個人的考えでは、愛とは人に何か要求したり、人を変えたりすることではないと思っています。その人のありのままの姿を愛することを愛というのでは。まさに神の愛も、条件付きの愛ではないと思います。・・・これこれの条件を満たしたら愛するとか、赦してやろうかというのではなく、無条件の愛なんだと思います。だから私たちも、人間を愛するとき自分の都合のいい人、考え方のあっている人、自分の役に立つ人だけを好きになるのは少しおかしいのではと考えています。」
「不信仰な自分がいる。主は、そんな私を見てどういうのだろうか?わたしは、思う。そんな不信仰な私でさえ主は、「そんなあなたを愛している」と言う。そして、こうも言うと思う。「あなたがそこにいるだけで、私はうれしい」と。その声を聞いて、私は泣き崩れる。汚すこと、それは変化させること、さわることである。美しいものとは、それを変化させようと思うことのできないもののことである。なにかを意のままにあやつることは、汚すことである。所有することは汚すことである。純粋に愛すること、それはへだたりを受け入れることである。自分と自分の愛するものとの距離をこよなく愛することである。」 -シモーヌ・ヴェイユ[1909-1943](仏・神学者)
賢者C 「愛はこちらから与える、つまりgiveすれば自然とtakeできるものだと思っています。だから一番に愛する人の一番理想を一緒に願う。相手もきっと願っていてくれているから。リラックスした状態でいればいいと思います」
賢者D 「愛については、「約束」と「礼」に尽きます。「思いやり」とか「やさしさ」とかは、そこから伸びてきた枝葉のようなものだと思います。・・・・・「take」が愛です。つまり、愛は一方的にすんなりと与えるだけでいいのです。(見返りを期待するするなんて、とんでもないことです)「take」に当たる部分には、約束と決断力、そこに礼が入ります。「礼」が愛なんです。・・・「take」としたわけは、「奪うことが愛」と思ったからです。ただ単純に奪いとるのではなく、「礼」が入っているという前提つきです。「与えることが愛」という意味ではありません。それは、与えることは甘やかしや依存につながるからです。たとえば、愛する者を依存させてあげるのではなく、逆にこちらが依存したくなるような存在に、自立へと向かわせるのです。「依存から脱っしさせ、自立を与える」と言い換えることもできます。・・・giveもtakeも愛に通じていることになるんですね」
賢者E 「人間がやってる恋愛の”愛”って愛情の愛。感情はもともとが自分の観念や精神構造に基づいて自分がプレゼントしているもの。だから、自分の都合によってころころ変わるよ。よくある話で、”わたしのことを愛してくれてないの?”(要求の愛情)”~したのに愛してくれないの?”(自分だけ勝手)とかね。じゃー、”愛”ってなに?となるんだけど、それは”100%すべてをあるがままに受け入れる心”じゃないでしょうか?ALL OK!ってね。愛のある関係って100%自分勝手、相手も100%自分勝手自分がしたいことを相手もしたい。お互いが満たし合いの関係じゃないかな?要求や支配を求めちゃそれはもう別物」
賢者F 「よく言われることですが、エロスとアガペーは厳然と違うもの。エロスは自分が向上するための愛。アガペーは他へ向ける愛。「愛」と「情」は別物だと思います。また嫉妬は愛ではなく情である、と」
賢者G 「和尚ラジニーシが愛と献身について語っているものを読んでみて下さい。・・・・・・・一見まったく無関心であるかのような〈存在〉も、じつは自分と違うものではない。自分は〈存在〉の一部だ、〈存在〉と有機的にひとつだ。花を咲かせている木も、自分と別のものではない。自分はその木に花咲き、そしてその木は自分の中で意識を持つ。海、砂、そして星々、それらはみな自分とひとつだ。自分は離れ小島ではない。自分はこの宇宙と有機的にひとつだ。宇宙のすべては自分の中にあり、自分のすべては宇宙の中にある。そのことを知り、感じ、覚らないかぎり、愛は心の状態とはならない。もしこのことを覚ったら、もはや「自分は誰かに愛されている」という私的な幻想を創り出す必要がない。」
「もう「意味」はそこにあるので、たとえ誰にも愛されなかったとしても、その「意味」は失われない。もはや恐れるようなことはなにもなくなる。死でさえもあなたを滅ぼすことがない。たとえ形態が滅びようと、身体が滅びようと、あなたが滅び去ることはけっしてない。なぜならあなたは〈存在〉だからだ。・・・これこそが瞑想の中で起こることだ。瞑想の中であなたは〈存在〉の一部になる、<存在>のひとつの現れになる。そして「〈存在〉と私はひとつだ」と感じるようになる。あなたは歓迎されている。恐怖も死も存在しない。そしてあなたから愛が流れだす。その愛は努力ではない。愛するほかにはなにもできない。それはもう呼吸のようなものだ。内側深くであなたは愛を呼吸する。愛を吸っては吐き出す。・・・あなたはただひたすら愛を吸い込んでは吐き出す。そして、あなたは自分が愛しているということさえ忘れてしまう。するとそれはもう献身となっている。それは究極の頂点であり、また究極の可能性だ……それはなんと呼んでもいい」
賢者H 「愛とは、思いやりの心であり、その対象は万物である。決して人間に対してだけのものではない。また愛には究極はなく、多かれ少なかれ万物に対して思いやりの心を持つこと、それが愛なのである」
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導 「他にも、『愛=自己犠牲』?という問題を提起してくれた賢者もおられたので、これについてはわしも含め皆で熟考してみようではないか!表面だけでは捉えられない深い意味が有ると思うし、それぞれにとって何かの新たな学びに繋がると思うのじゃ」
英 「そうですね、僕は自己犠牲には少し否定的だったんだけど、もう一度熟考してみます。・・・ゲストの皆さん、本当に有難う御座いました。しっかりと参考にさせて頂き、新たな学びに繋げて行きたいと思います」
光 「私は『愛=自己犠牲』って解るような気がするわ!・・・本当に愛する子供の為には自己を犠牲に出来ると心の奥から真に思うこと・感じること・願うことは、とても『それは愛ではなく情だ!』で、かたづけられないと思うけど・・・更に熟考してみます。・・・・・ゲストの皆皆様、誠に、ま~ことに素晴らしいメッセージ有難う御座いました。又、学ばせて下さいネ!」
導 「それでは、今回はこの辺でお開きとしようかのぅ。・・・くれぐれも言うておくが、わしのも含め、これらの解説は、その解説者自身の理解であるのじゃから参考として受け入れ、後は各自でしっかり熟考し、実践することで自分なりの『愛』を体感し、理解し、更に学んで行くことが重要なのじゃよ!・・・『進化の道は自立の道』じゃからね」
光 「はい、解りました。次回も宜しくご指導下さいネ!」
今回の言葉
『全ての存在が自己の進化の為に有ると気付いた時、全てとの一体感=愛を感謝と共に体感するのである』
※ 上記、賢者たちの解説に使わせて頂いた内容は、旧HPの掲示板にて「愛についての皆さんの認識・理解を」という問い掛けに対して書き込まれた光の友たちの、それぞれの認識・理解メッセージを使わせて頂いたものです。これを読まれた皆さんの更なる学びの肥やしとなることを願っております!・・・・・メッセージを下さった皆さん、本当に有難う御座いました。心から感謝致します。