導師 「それでは今回は、あまりこだわることはないのだがNo7という宇宙の真理的にも重要な数字のテーマ数となったので、これまでのまとめとして最も基本であり永遠の実践方法でもある『想念観察』について再確認する為にも、ここで少し詳しく解説してみようと思うのじゃが、、、」
光 「そうね。これは本当に重要なテーマだと思うわ。しかし、これまでもたびたび学んで来た事なんだけど、まだちゃんと理解出来てないし日々の実践もまだまだ習慣にはなっていないので、ここで改めて初心に戻って学ぶ必要が有りそうなのでよろしくお願いしますネ」
英知 「ところで、その『7』という数字が宇宙の真理的に重要な数だと言われましたが、僕も今まで色々な本などで言葉の一つ一つや数字の一つ一つにもそれぞれ意味が有ると言う事を少し学んで来ましたけど、導師さんの認識を聞かせて頂けませんか?」
導 「ま~言葉に付いては『言霊学』とか『カタカムナ文献』他、色々な『神代文字』・『古代語』などの説明が必要じゃろうし、数に付いては『宇宙の数的メカニズム』や『ピラミッドの数的意味』や『ユダヤの秘法カバラ学』さらには『図形・象形のもつエネルギー学』などとも関連が有るので、それらについても説明せねばならない問題なのじゃが、今回は想念観察についてのテーマじゃから又の機会に少し詳しく解説するとしよう」
光 「そうよ、そうよ。想念観察は重要なテーマだから横道に逸れずにじっくりと解説して頂きましょうよ」
英 「はい、そうでした。重要なテーマですからね!すみません、それでは導師さん解説お願いします」
導 「うむ。それではまず『想念』というのは皆が日常的に行っておる内的活動、いわゆる『想い』・『思考』・『感情』・『心』等の事であり、睡眠中以外は殆ど休む間もなく湧いて来ては流れ去って行くものじゃね。そして『想念観察』と言う実践方法は、その湧いては流れ去って行く想念をただ観察していれば良いと言うものじゃが、生活・仕事など作業中と同じ脳的なレベルの目では、当然同時に観察する事は出来ないのじゃから、その観察する目とは別次元の一歩引いた目で今の肉体レベルで起こっている事象とそれに対しての自分に湧いてきた想念を客観視すると言う事なのじゃよ。『客観視』と言うのは今の自分の行動・想念を自分の事として見るのではなく、君らが他人の事をただ他人事として眺めているのと同じ様にただ静観すると言う事なのじゃよ。勿論、ただ観ているだけなのじゃから自分の行動・想念に対して考えたり、反省したり等もしないと言う事じゃね」
光 「以前の説明の時から少し気になっていたのだけど、なぜただ観ているだけで自己の進歩・進化に繋がるの?これまでの道徳や宗教など心の問題では、反省する事が良い人間となる事と言うような内容の教え・教育が一般的だったわよね」
導 「そうじゃね、そこも重要なところじゃからして逆に質問するが、反省するからにはその行為なり想念を正しいとか間違っていると判定する為の基準なり決まりが有ると思うのじゃが、それは一体なにかね?」
光 「そうねえ、それはやはり人間がこれまでの歴史の中で多くの経験によって築き上げてきた道徳であり決め事をず~と正しいものとして常識になって来たものだと思うわ」
英 「そうだね。それに、ず~と常識として人間の心に固定されて来た為に、今では疑う事もないよね」
導 「そうじゃろう。ようするに今の道徳・規則と言うものは経験などにおける確率論であり、多数決であり、その時その場所の長(政治)の意向であり、時代の移り変わりによって変わって行く曖昧なものであるし、半分は地球人類を支配しようとしておる存在達により民を無知にしコントロールし易いようにする為に作り出したものだと言う事じゃよ」
英 「え!なんですか、その人類を支配しようとしている存在って。それに今までの道徳や法律などとは、その存在達が人類を支配する為のマインドコントロールとしての手段だったと言うのですか?」
導 「少し横道に逸れたようじゃのぅ。その存在達に付いては又の機会に説明しよう。(今の君らにはあまり重要な知識ではないのじゃが)、、、しかしながら今の道徳・法律は全くダメで意味がないなどと言っておるのではないのじゃぞ。全て無駄なしじゃからの~。半分は本当に社会が良くなる為と思って作られたものじゃからね!ただ問題が有るのは、それが常識となり疑いも無く人々の意識に固定観念・既成概念として植え付けられ、全ての物事をそのフィルターを通してのみにより判断し、結論を出し、正当化してしまう為にその狭い範囲内での認識・理解に滞まってしまう事で、物事を多角的(自由自在)に見れないが為に進化が停滞(遅い)してしまう事に繋がると言う事なんじゃよ」
光 「だからその自己の持つ固定観念・既成概念の入らない客観視でもって想念を一歩引いた目でただ観ていることが重要だと言う訳ね。そこも少し説明してよ」
導 「その通りじゃ。ようするに赤ん坊の目で物事及び想念を観よ!ということじゃ。赤ん坊と言うのはまだ何も知らない(固定観念も既成概念もない)純粋な目で全てを観察できるのじゃよ。例えば、大人はバラの花を見て《ああ、なんて美しいバラの花なんでしょう、良い香りもしてきたわ》という想念が浮かんでくるじゃろうが、これは今までの自分の経験や知識・情報などの固定観念・既成概念によって決めつけられたイメージであり、それを疑うことなく納得してしまう為にそのイメージのままで終わってしまうのじゃよ。しかし赤ん坊は《バラノ花だ》とも《きれいだ》とも《良い香りだ》とも思わずただ無心に観察しているだけなのじゃよ。この赤ん坊の目と同じ様にただ観ていなさいと言うておるのじゃよ。ただ、赤ん坊と大人の違いは、赤ん坊はただ観ているうちに本能である好奇心により触ったり舐めたりする事で色々な認識を持って行くのだが、大人はただただ観ているうちに今まで気付かなかったこと・知らなかった事が少しづつ見えてくるようになるのじゃ。この事は想念のメカニズムや想念と潜在意識・無意識との繋がりと言った事と関連するのじゃが、その説明は又の機会に譲ろう。とにかくじゃ、事象・想念をただ観察すると言うことは実は多角的視野でもって観察できると言う事であり、新たな知識・認識・理解に繋がって行くと言う事になる訳で『進化』という目的に至る実践方法だと言う事になるのじゃな」
導 「もう少し言っておくと、この実践が進んでくると他人の言動に対しても今までは自己中心的で自己正当化想念が湧いてきて感情的になったりしていたのが、ただただ相手の言動を静観・観察する事によって別の角度からもその言動を観察でき、理解することによって冷静で正しい判断が出来るようになり、感情的に捕らえていた他人の言動も実は自分にとっては新たな学びであったことを認識するのじゃよ。そして自己の想念をただ観察して行く事で想念に対しての新たな認識・理解を得る事が出来、自分の中に流れている想念は実は自分のものではないと言う事が体感されて行くのじゃよ。ここで自己の中に流れる想念が自分のものではないと言う事のヒントを少し言っておくと、この地球上・宇宙中には無数の存在が創造した無数の想念波動が飛び交っておるのじゃよ。そして今の瞬間の自分の持つ周波数と同種の想念波動が同調し、自己の中に入り流れて行くのじゃがその間にその人間の脳活動・精神活動・意識活動により、色づけされ変換されて、また流れ去って行くのじゃよ。想念活動とはそれの繰り返しなんじゃね。重要な事じゃからもう少し詳しく説明したいのじゃが、後は各自の実践において掴んで行ってくれ。『自分で学び、自分に学ぶ』じゃよ!」
英 「なるほど、ただ観ていると言う事がどう言う事に繋がるのかが少し理解できました。しかし導師さん、この実践方法が基本だと言われてましたが次の段階が有るのですか?」
導 「勿論、想念観察実践(瞑想)法も進んで行くにしたがって段階というものが有るのじゃよ。まず、想念観察の目的とは『自己を知ることにより進化する』と言う事であり、自己を知るための最初のテーマというのが君らが自分だと思って疑わない自己の想念(雑念・思考・想い・感情・心等)が実は自分ではなかったと、体感として認識し理解する事なのじゃよ。よって、その認識・理解に至るための初期的実践方法が『一歩引いた目でただ想念を観察し流す』と言うものなのじゃね。この方法を日常の中で継続し習慣付けてゆく事によって、少しづつ『想念』というものがどう言うものかが判ってくると、自分のものではなかったのだと言う理解を得る事が出来るのじゃよ」
光 「そうか、ただ観ているだけの事にもそれだけの意味があったのね。日常で私達が頭の中で思っている事例えば《あのスケベ課長、私の体をジロジロ見ているわ。本当イヤラシ~》とか《も~今日の弁当のおかず全然おいしくなかったわ、ムカツク~》とか《わーあのカッコイイ○○さん私の事を見ているわ、気が有るのかしら》とか《あ~何か今日ムラムラしちゃうわ。欲求不満が溜まってきているのかしら。彼に電話しちゃお~》などなどの(ちょっとくだらない例えだったかしら、、、ホホホ)色々な、そして全ての想念を一歩引いた目で客観的にただ観ていればいいのよね。本当、四六時中いつでも何処でも出きる実践法(瞑想法)よね。だけど何かきりがなくて疲れそ~。、、、あ!この想念も観察するのね」
導 「ハハハ。そうじゃのー、疲れるの~。しかし最初は意識して観なければ出来ないのでなかなか難しく疲れてしまうのじゃが、それを精進して継続して行くと段々と習慣になって行き、あまり意識しなくても自然に一歩引いた目で観ていられるようになるのじゃ。そして、その一歩引いた目で観ている事をも更に次の一歩引いた目で観ている事に気付くのじゃ。これが日常化してくると君らの心の状態が今までより静寂でバランスが取れ、物事を多角的に見たり考えたり出来るようになっておると、自覚することが出来るのじゃな。それと、ここで重要な事はただ観ていると言ってもボーとして眺めているのではなく、集中して無心に観察すると言う事なのじゃぞ!判っておるじゃろ~のぅ。そして何となくでも想念が自分ではなさそうだなと感じ始める事が出来たなら、この段階は卒業であり次の段階へと進んで行くのじゃね」
英 「でも、この初期段階でもかなり難しいと思うよ。地球人類の殆どの人がこの初期段階か、まだ初期段階にも入っていない(気付いていない)のでしょーね」
光 「何、弱音をはいているのよ!この実践方法は、実践そのものが難しいのではなく継続する事がなかなか出来ないと言う事なのよ。だから方法はただ見ているだけなんだから後は頑張って継続して習慣にしてしまえばいいのよ。ねぇ、導師さん。、、、それで次の段階ってどういうものなの」
導 「君らが初期段階を卒業するにはまだ少し時間がかかると思うので次の段階からの説明は今は簡単に話すだけにしておこうかのぅ。次の段階とは少し判ってきた自己の想念を真理の言葉に照らし合わせて整理・整頓して行く段階なのじゃが、この真理の言葉というのは初期実践で身に付けた偏りのない多角的な視野・思考でもって掴んできた真理及び、この問答集で学んだ真理の言葉のことじゃね。と言うことはじゃ、この段階では逆に積極的に思考(自問自答)して行くことで想念を整理すると言う事なのじゃが、キチンと整理する為には初期段階で想念と自分をある程度切り離せるようになっておらんと出来ないのじゃよ。そして、どんどん自己の奥底に隠されていたような古い想念なども掘り下げて整理して行くうちに、少しづつ高い意識へと繋がって行くと言う事になる訳じゃよ。更に高い段階になると完全に自分と想念は別物だとの理解に至り、想念(エゴ)をコントロール出来、常に冷静でバランスの取れた生命活動となり、全ての事象を広く多角的に観察する事が出来る為にその認識・理解も遥かに優れたものとなり、進化の道をスムーズに歩めるようになるのじゃね。つまり仏教の般若心経に出てくる『観自在』という境地だと言えるかのォ。この段階に付いては言葉ではなかなか説明しきれないのじゃよ。自分自身の実践のみで体感できる境地じゃからのー」
光 「まーそこまで行くにはかなりの道のりね。取り敢えず、進化の道に飛び級は無いと言う事だから地道に継続して観察して行くことだわね。ところでよく修行の結果色々な能力が付いたと言う事を聞くけど、この実践法ではどうなのかしら」
英 「そうだね。よく何かの修行や瞑想などによってチャネリング能力が付いたとか霊が見えるようになった等の超能力が使えるようになったと言う事を聞くよね」
導 「勿論、この実践法でも継続して行ってゆくうちに自己の内なる声が聞こえたり、宇宙人やその他の宇宙的意識とのチャネリングが出来たり、霊を見たり会話をしたりとか、人間のオーラが見えたり、ヒーリング能力が使えるようになったり等などの事が自然と出来るようになって来るのじゃ。(これのメカニズムも又の機会に解説するとしよう)しかし!この事も重要な事なのでしっかりと聞いて欲しいのじゃが、これらの能力は真理に沿った実践(日常)を継続して行ってゆくと自己の意識も段々と高まって来るのじゃが、この意識が高まってゆく事の副産物として各能力が開かれ使えるようになると言う事であり、誰でも皆、それぞれの能力を使えるような意識状態(進化段階)に達すれば自然と使えるようになると言う事なのじゃよ。今現在では超能力と言われているこれらの能力も、新生地球ではごく普通の能力となっておるのじゃ。よって、決して能力的な事の方を重視して囚われるのではなく、あくまでも自己の意識進化を最重要目的として想念観察実践法を継続して行くうちに必然的に開かれるものだと言う認識を強く持って欲しいのじゃ!君達も、これらの能力を正しく使えるような意識段階ではないのに何かのキッカケで使えるようになったもの達が、結果どう言う事になっているのか知っておるじゃろうが」
光 「そうよねー、色々な人がその能力に振りまわされて落ちて行ったわよね~。やっぱり超能力等に憧れたり執着しないで、しっかりとした真の目的を持って地道に日常の実践に励む事が一番だと言う事ね」
英 「そうだね。そして、それが一番正しく安全でバランスの取れた状態で能力を使う方法でもあると言う事だね」
導 「その通りじゃ!とにかく雑念・妄想等は捨てて、この想念観察と言う実践方法を継続して行なってみることじゃ。必ず新たな認識・理解が生まれ、自己を学ぶ事が出来、高い意識へと進化することが出来るのじゃからの!今回はここまでにしておこう。何事も継続する事が重要なのじゃぞ」
光 「はい、とにかく想念観察実践法を継続してやってみます。ありがとうございました。次回も宜しくご指導下さいネ」
今回の言葉
『自己の内に湧いては流れ去る想念は自分のものではない』