先日、久しぶりに記事の更新をした。


あまりに止めてしまうと、

再起動がもっと大変になる。


・・・と知りつつ、

気づくと時間ばかり過ぎていた。




最近、

以前からの顔見知りの協会員の方と

もっと仲良くなってきた。


彼女は、


私の知る中では、

結構めずらしく、


用事のないのに、

声をかけてくれたり、

顔を見せてくれる人物で、


前々から、

もっと近づきたいと思っていた。



でも


携帯も持たず、

ご主人の両親と同居している彼女に、

連絡を取ることはしなかった。





彼女は

協会員ではあるが、


葛藤もあるようだ。




ネットもせず、

人脈も協会員ばかりなので、


情報は乏しいが、



でも

「何かおかしい」と思っている様子が、

言葉の端々から伝わってくる。




ご主人は、

協会関係の仕事をしているらしい。



聞いたところによると、


最近は、

だいぶネットを見始めているらしい。



よくないとされている、ネットを見ているとなると、


協会関係の話題が多いのでは?と

勝手に推測してしまう。



当人からしたら、

それは結構な「罪悪感」の中での、

ネット閲覧になるに違いない。






10人いたら、10人様々な理由で、


協会とどんどん疎遠になっていった食口が、



しかも、

先月の礼拝では、

すぐ隣に座っていたかもしれない食口たちが、


「元」となり、


予想以上にたくさん存在している。



その人々は、

~私もそうだが~


目が一つだったり、

頭が二つある、

サタンの分身ではない、

まったく普通の人々である。





ブログの内容は様々であるが、



それでも、


個々の切り口で、視点で、


協会と縁を切った人々からの発信情報は、



今なお、協会に属しながらも、

葛藤を抱えている人たち、



特に、

現在、協会で何らかの収入を得ている人、

あるいは

協会員の面倒をみたり、活動を支えている人たちに、



影響を及ぼすだろうと、

思った。



なぜなら、


協会を信じて疑わない人は、

ネット、

特に、個人発の協会関係の記事は読まないものだ。



「社会勉強のために」


「反対派の言うことが知りたいの」


と言い訳を言うかもしれないが、



しかし真っ向から信じて疑わないのならば、


反対の意見を述べる記事など、

何の価値も感じず、見るに値しないと判断するのが普通ではないかと思う。







そんなことをぼんやり考えていると、




なんとなく、

また「更新」したくなってしまった。