ネットの出現というのは、世の中を大きく変えていっているようです。
負の面にも、人々の意識は大きく照射されていますが、
貢献面も測りし得ないほどのように、私は思っています。
既得権を持った方たちには、
本当に恐るべき開発でしょう。
教会員ならばご存知の方々が多いと思いますが、
ネット開発何十年も前から、その出現を予測していた、と
教祖は何度か発言されており、
確かに、それを予見していたとなれば、先見性があるとは思いますが、
しかし、それほど自慢できるほどではないように、思っていました。
仮に自分の子どもが予見していたのならば、
「すごいね、頭いいね!」と喜び、
もしかしたら、将来、中小企業の社長さんくらいになれるかな、と
そのぐらいの感じのことにしか感じられないです。
江戸時代の浮世絵?に
テレビらしき物体が描かれていたのをバラエティー番組で見たことがありましたが、
そちらの方が、遥かに予知能力を思わせます。
とはいえ、ことあるごとに、
「江戸時代からテレビ出現を予知していた」と
仮に、絵画の製作者が自慢気に何度も語っていたら、
最後には、
「はいはい、そうですね」などと、うんざりしてしまうかもしれません。
しかし、その出現を予知していたとされる、
インターネットによって、
長年の苦労の上に築かれていた教会の、
暗部や問題が露呈してしまい、
あるいは信者たちのホンネや告白から、
組織がぐらつき、離教者が多数生まれていったとしたら・・・
なんとも皮肉なことです。
教会の、既得権の上にあぐらをかいていた人々は、
神のご加護にすがらなくてはならないかもしれません。?
そして、
教会の教えが、
この世のみならず、霊界までも統一することができる大いなる思想だとしたら、
この程度の洗礼で、
揺れまくり、分派活動を推進することとなっているとすれば、
その点だけを論じてみても、
やはり真実とは言い難いのでは、と思います。
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