ブログを書き始めて半年がようやく過ぎていますが、

息切れしているマラソンランナー状態です(^^;)

なんてことはあまり書きたくなかったのですが、

「統一教会」をメインテーマに書こうと思うと、

ここ最近、結構しんどくなってしまいました。


もっとも、ブログというものに対して、

それほど堅苦しく考えることもないのですが・・仕事ではないので。


そんなことをぼんやりと考えていたら、

教祖が亡くなられ、まだ1年も過ぎていないのですね。

改めて考えてみて、ちょっとびっくりしました。


私の意識では、随分と、遠い過去の話のようになってしまっていました。


なので、昔々の思い出を語るのに、中々思い出せないような、

極端に言うと、そんな状態なので、

どうも「統一」テーマだと、更新が渋ります。


どこかにも書いたのですが、

教会がなくなることを望むのであれば、

教会流に表現すれば、

「相対しない」のが一番なのです、きっと。

反対もせずに、怒りもせずに、

意識から消えていくのが、近道なんでしょう。

そういう意味では、

かなり私は、いい線を行っているのかもしれません(自画自賛)


何が幸いになるのかわかりませんが、

自分が伝道した人も、現教会員では存在しませんし、

夫婦共々の親族にも、教会員は少なく、

また教会員であったとしてもそれほど熱心ではないようです。


そして、

実際、私の周囲の教会員の方たちは、

離教している方たちよりも、

ある意味においては、

教会のことを意識してない人が多くいるように見受けられます。


教会員という立場は大事みたいですが、

それまでであり、

教理が真理であるかどうか、教理で人類が幸せになれるか、

教会の活動に未来はあるのか、自分たちの子どもを教会員と結婚させていいのかどうか、

メシアと呼ばれる方の家族の問題に起きている問題に対して、矛盾を感じていないのか、などなど。

それらについて、深く考えているようには、正直あまり見えないのです。

ちょっとひどい書き方をしてしまいますと、

教会のいいとこ取りをしているようにすら見えます。