我が家の子どもの中で、かなりフットワークの軽い子どもがいる。
「お駄賃を○円あげるから これしてきて」と、言うや否や体が動いている。
下手をすると、肝心の「○円」の部分を聞く前に、すでに走りだしてるぐらいだ。
一方で、相当、腰の重い子どももいる。
結構な、おいしい条件を提示していても、
なかなか釣れない。
よくは分からないが、
もしかすると、それをして、何になる?と考えるのかもしれない。
私は、間違いなく前者のタイプである。
そんなこと頑張っても、長い目でみたらメリットも感じられないようなことでも
小さな小さなにんじん、しかも、干からびて食べられそうにないやつが、
仮に目の前にぶらさがっていたとしても 即時に飛びつくことができるのである。
くどいが、決して視力が悪くて食べられないのが分かっていないわけではない。
分かっていて、飛びつける。
過去の日記 にも書いたが、今更、英語を習い始めた。
海外に行く予定もなく、英語圏の友だちもいない。
単に、習いたいから習っている。
何か役に立つかもしれない、という目論見すら、あるとは思えない。
それがまた、結構な労力を割くのだ。
心の片隅ではそんな自分を
まぬけだな~ と 嘲笑しつつも
でも一方では、面白くも感じているのが正直なところだ。
つまるところ、
自分で考え、意志をもって、行動していると思いつつも
実は、自分の中にある精密なコンピューターに動かされているに過ぎないかもしれない。
なんとなく習いたいけど、
見通しもないし、採算も取れなさそうだからやめるか、と考える方が、
今の私にとれば、
むしろ、自分の意志で行動していると考えられる範疇に入るのかもしれない。