スピリチュアル分野に元々関心は強く、
少し前のブログにもそんな話を書いたばかりであり、
また、その関連話を記事にもする気持ちはあったのですが、
最近、急激に関心が薄れてきてしまいました。
スピリチュアル関係のお仕事の方が、
たくさんのブログを立ち上げられているのを私が初めて見てから、
早2年くらいが経っており、
もしかすると、目が慣れてしまったのかもしれません。
あるいは、
自分のブログが、
「スピリチュアル」と「宗教」関係を中心に書き出しており、
それらと見つめ合う時間が増えたゆえ、
特にスピリチュアル関係は、
前々回書いた、清平(統一教会の祈祷院)での役事の話題とだぶりますが、
「・・・だから、結論はどうなの?」という部分に対して、
解答らしきものがあまりない世界であり、
そこら辺に対しての、見切りという心情がわき始めているようにも思います。
いざ、過去にtryしたスピリチュアル関係の、体験談でも書こうとしてみると、
内容が、本当に、「夢」みたいであり、とりとめないのです。
可もなく、不可もなく、
だから、どうした?、という世界です。
なので、その関連話を書こうとする気持ちが起きず、
これはもしかすると、
ブログ書きによって、左脳が活性化したのか?などと
一人悦に入ったりもします・・・?
霊視できる人が、行方不明の人を探したらいいのに、
霊的能力のある人が、未解決事件のお手伝いをしたらいいのに、
霊界がわかる人が、その様子をもっと詳細にレポートしたらいいのに、
など、思うことがよくあります。
まぁ、現実世界の物的証拠を頼りに、捜査活動をしていく人たちも、
解決に至れたり、至れなかったりするのと同じで、
一口に霊的能力があると言えど、
できることもあり、できないこともあり、ということなんでしょう。
でも、
霊的能力、と言うと、
とかく、万能であると、
人は勘違いもしやすくなります。
もちろん、その類の能力を信じている人々に限ってですけれど。
そして、
自分もブログを書き始めたので、
多少なりとも、スピリチュアル関係の経営者さんたちに対して、
それまでの、一閲覧者として、
未知の世界を見上げるような気持ちが減ったこと(=自分とあまり変わらない人間だった?、というような感じでしょうか)も、
左右しているのではないかと、
自分で分析してみました。
過去には、占いなどが好きで、見てもらったり、
自分でも本を片手に勉強をしたりもしましたが、
解釈者の技量が、やはりものを言わせているようだ、という認識をもってしまったため、
だれかれ構わず、
「私の運勢を観てください!」という気持ちも萎えてしまいました。
結局、森羅万象、その中に、もし運命というものが暗示されて隠れていたとしても、
その意味を読み取る「読み手」が正しく解釈できないのならば、
読み方の技術だけをもってしても、あまり意味はありません。
多少の気分の高揚には役立つのかもしれませんが、
しかし少々、霊が見れたりコンタクトが取れたとしても、
それが逆に、日常生活を迷いに導いてしまったり、
あるいは少々、能力が高まったことで、
本人が傲慢になってしまったら、
何も知らなかったほうがよいということになりかねません。