ものすごい久しぶりの、教会の友人に、先日会いました。
10年は軽く越えていました。
友人は、独身時代の時とは、全く違う環境の場所へ嫁ぎました。
どちらかというと、社交的でない人なので、
嫁ぎ先では、かなり苦労をしているようでした。
しかし夫婦で、経典の読み合わせ、
いわゆる訓読会、と言われるものも、よくしているようで、
教会の活動には積極的に携わっている様子も、風の噂で耳にはしていました。
さて、
久々に出会うので、
「信仰の話もでるかな?」
「私のブログも紹介しようかな?」
いろいろな思いを巡らせての訪問となりましたが、
フタを開けてみると、
近況の話にはなればこそ、
信仰の話は皆無で、ブログの「ブ」の字も出す感じではありませんでした。
おかしな例えですが、
宗教と全く関わりのない生活を送っている人に、
いきなり、
「神様を信じていますか?」と、通常の場合は切り出せないですが、
彼女との出会いも、そんな雰囲気であったために、
限られた時間の中で、その話には自然となりませんでした。
もちろん、彼女が通う、教会の人員構成やら、様子には、話が及びましたが、
それだけでした。
彼女のおうちには、
教祖夫婦の写真がたくさん飾られており、
今現在も、よく信仰していることが、
尋ねなくても、それだけでよく分かりました。
人づてに聞いた話では、
面倒見の良い、年配の婦人たちも何人かいる教会に通っているとのこと、
そうなると、
教会での人付き合いというものや、
信仰というものを通して、理解し合おうとする夫婦の様子が、
今の彼女を精神的に支えているのだと、
そんな想像をしました。
今の彼女には、
そんな生活の一部としての、統一教会とのつながりが、大事なのかもしれないと、
そんな風に感じました。