外見が気になる年頃なのか、
中学生の息子からは、見た目の話がよく出ます。
もっと高い鼻に生まれたかった、とか、
ニキビが困る、とか、・・
その一方で、面白い話もしてくれます。
何を基準にイケメンだとか美人だとか言うのか、
それは西洋人の顔を基準にしているからだ、と言います。
産業革命後、ヨーロッパは、技術的発展を遂げ、
そして市場拡大の為に、世界へと出て行きます。
ここら辺は、学校の歴史でもなじみの話です。
資源獲得、植民地拡大のために、
キリスト教は、布教のために、同じく世界へとどんどん進出します。
文化もどんどん輸出していきます。
日本では、平安時代の美人は、おかめ顔だったと言います。
欧州の勢力が強くなかったのならば、
私も美人になれたのかもしれない・・(残念)
女性が首に輪をはめて、
首がどんどん長くなるようにする部族もあります。
首が長い方が美人だというのですが、
そんな風習がない日本人の私には、それのどこが美しいのかよくわかりません。
こんな風に考えてみると、
一般的美の基準というのは、結構、いい加減なようにも思えてきます。
統一教会は、教祖夫婦が韓国人であり、
また教理の中では、韓国人を選民としています。
これは醜美の話ではないのですが、
ちょっと前に、職場に、教会員の女性2名がやってきました。
世間話をしていると、
その女性たちの目に、会社で扱う韓国製品が目に留まりました。
「これ、何ですか?」と興味津々でその物品を見ていた女性たちでしたが、
私は簡単に説明をした後に、
「でも、これ韓国製なんですよ(´_`。)(品質がいまいちです)」と付け加えると、
女性たちは大きく頷きながら、
「道理で!
やっぱり韓国の物は違いますよね。
よくできていますよね」と、相槌を打ってきました。
私は、そのとき、結構びっくりしました。
この会話の、このタイミングでの一般的なリアクションとしては、
「そうなんだね?でも(その割には)よくできてるじゃない?」という流れを、
自分で勝手に想像してしまっていたからでした。
そして、
“そうだった、
教会では、韓国の物を、無条件に褒めるところがあったんだっけ・・・”と、思い出し、
苦笑いしながらやり過ごしました。
自分がいかに、教会から足が遠のいていたかを実感した瞬間でもありました。
とにもかくも、
権力や財力、腕力のあるグループの考え方や物の見方というものは、
知らず知らず、
世間を染めてしまうように思います。