昨日の記事に関連しています。
教祖のご子息の著書を読んだ話を書きましたが、
その中には、一部、子育て論にも言及されていました。
私の感想としては、
平均以上・・・というか、些細な問題があるお子さんならば、それでもよいが、
そうでない場合には、ちょっとどうかな、と思う、ごく子育て一般論の部類に入るような内容のように感じられました。
今から6年以上も前の話ですが、
所用があり、教会へ行きました。
このブログでくどいほど書いていますが、私はいつも「お久しぶり」の人でした。
1ヶ月ぶりで行くと、私には、頻繁に顔を出している、という認識さえあり、
2~3ヶ月に1度というのは、普通でした。
用事を終えて帰ろうとすると、車のキーが見当たりません。
教会内にいた女性たち数人も、いっしょに探してくれましたが、
結局、見つけ出すことはできませんでした。
仕方なく、鍵屋で合鍵を作ることにしましたが、
店まで、責任者(同世代の女性)が連れて行ってくれることとなりました。
その責任者とは面識がほとんどなく、私は苦手意識をもっていました。
いつぞやは、「私は、献金要請があれば、全ての親戚を訪ね歩いています。
そのことは親戚の間では、とても有名なんですよ」という、話をしていました。
とても熱心に一生懸命に活動されている方でした。
そして、その責任者は私に、
「パープルさん、久々に教会に来た蕩減(とうげん)ですね」と、にっこりして言いました。
※「蕩減」とは、日本語にはなく、
債務者が返済をできない場合に、債権者により、
全額もしくは一部を免除されることを言います。
しかし教会で日常的に使われる「蕩減」という言葉は、
マイナスの境遇やケースをさして、
そのカルマのようなことを埋めるために、
当人や関係者に不具合が生じたときに、「これは蕩減です」などと、使われています。
責任者の車に乗った私は、
普段は愛想も悪くはないのですが、
当時は、離教するという思いには至っていはいませんでしたが、
組織全体や一部の教会員に対して、ひどく嫌悪感を抱いていたため、
そのときは黙って、助手席の周囲を見るとはなしに、見ていました。
すると責任者は、
「散らかっているでしょう。ほとんどここで生活しているようなものですから。
ほとんど帰れない(=遅くに帰宅して、早くに家を出る、の意味だと思います)」と、
笑顔で言いました。
私は「はあ・・」とだけ言い、
神様や教祖のために奉仕したいのであれば、
何をそんなに私に対して自慢に思うのだろう?と、内心、思いました。
それから3年後、
献金要請のメールが班長から来たので、
これが最後の献金であり、今後は一切、教会と関わりをもつつもりはない、という主旨の返信をしました。
(実際の表現は、やわらかい文面でした)
すると翌日に、
班長(同世代女性)と、先の責任者が2人で、私の所へ訪問に来られました。
2hくらいか、あるいはもっとだったと思いますが、
次の予定の直前ぎりぎりまで、話をしました。
主に、私がなぜ、そんなメールを送ったのか、という理由を、
私が一方的に話をしていただけでした。
お2人とも、話を丁寧に聞いてくれましたが、
とりわけ責任者さんの方が、共感の気持ちをもって聞いてくれたように見えました。
主に、このブログに綴っているような内容を私は話をしましたが、
どうも教会の話となると、私は熱が入ってしまい、
普段はそうでもないのですが、勢い良く喋ってしまうので、
献金ノルマが辛いとか、休みたい、とかという答えを期待して来る教会関係の人たちは、
少々驚いてしまうようです。
そんな中で、
責任者の女性は、終始、熱心に私の話の意図を読み取ろうとしている様子が見えました。
もう1人の女性は、少々、退屈そうな表情をしている場面も見られました。
話の中で、
責任者の女性が、現在は、大きな家庭問題を抱えていることが分かりました。
3年前と、だいぶ感じが変わったと、私はその女性に対して感じていたのですが、
もしかしたら、その家庭問題が大きく影響をしているのではないかと、
そんな風に感じました。
私が、その女性と同じ立場になったら、
とても苦労をするだろうし、本当に夜も眠れなくなるかもしれないと、話を聞いていて思いました。
もちろん、その場の話は、それが目的ではないので、
さらりと簡単に発言されていただけでしたが、・・・
そして、責任者さんの、以前の自信に満ち溢れた態度とは180度?90度?くらいですか、
変わった、物腰が柔らかく、また相手(私)の話を、ただ聞こうとしている姿勢から、
また、私が提示したいくつかの疑問には、答えられない、とだけ返答していた様子から、
教理では、教会では、家庭問題を解くことはできないとも感じました。
・・・・・もっとも家庭問題をこれほど起こしている団体に対して
こう書くのも変な話なんですが・・・・・
しかし責任者さんの、教理・教会を絶対視していた過去の様子からすれば、
起きる問題もそれで全て解決できるはずであり、
今、問題が起きている渦中で、何の助けにもならず、
むしろ問題を助長させているだけの事柄ならば、
どれほど空しいことでしょうか。
そしてその責任者さんも、そのことを、意識のどこかで感じているのではないかと、
私の話に耳を熱心に傾けていた様子、
まだまだ会話をしたい、というように、ぎりぎりまで話をしようとしていた様子から、
そんな風にも感じました。
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