こんにちは。
心と食の地図帳
自然の直観力で
奇跡が“勝手に”やってくる
リライトイメージングメソッド
溝上 寿子(みぞかみ ひさこ)です。
母親を赦すって「しょうがないよね」と泣くことだった。
最近
スープが添付されていない棒ラーメンを
見つけたので
にわかに買うようになりました。
ってわけで7月のある日の食事は
私にはすごーーく珍しいラーメン。
じゃーーん。
4歳くらいの時
母の故郷で食べたラーメンにすごく似ていて
思い出がぶわーーーー!と湧き上がってきました。
夏になると母は私たち姉妹を
ひと月くらい実家に連れて行きました。
年に1回は帰れという
父の指示だったようです。
九州の山奥です。
関西から向かう時はまだいいのですが
関東に住んでいると
朝、幼子2人を連れて新幹線に乗り込むも
30分も経たないうちに姉が「まだーー?」と飽き
煙草で白い空気に耐え
私は酔い
母も酔い
20時ころに母の実家の最寄り駅に着いた頃には
みんなヘトヘトでした。
そこからまたタクシーで山道を小一時間
走らないといけないし
晩ごはんまだだし
ということで
駅前に1軒だけ明かりのついていた
ラーメン屋に入ったのです。
3人前頼むも
とんでもなく大盛で
全員半分も食べられず
皆でしきりに謝りました。
店主夫妻は事情をすべて察しているのか
にこやかに労ってくれました。
その時の母の顔
パツンパツンに張りつめた精神
疲労
安堵
幼子2人と旅行カバンを抱えているという状況
鉢になみなみと残っている熱々ラーメン
それらをありありと思い出したとたん
2021年の
西宮の我が食卓で
46歳の私は
自分でつくったラーメンをすすりながら
わーーーーん!と泣いてしまいました。
しょうがないよねえ~
母はパツンパツンだったんだねえ~
パツンパツンの母の隣にいて私は
お母さんを助けなきゃって思うしかない
よねえ~
って。
このブログでもたびたび
毒親として登場する母
私は自分を犠牲にして母の人生を助けたなんて
やり方が間違っていた!
私はアホだった
と憤りながら
何年も、何度もワークしてきて
確執が終わった、と思える日は
やっと去年訪れましたが
・・私はアホだったわけでは
なかったのねぇ~
ってことに気づきました。
泣くだけ泣いて
涙をふき洟をすすり
ラーメンを食べ(忙しい)
全てが終わったころ
何とも経験したことのない境地に
スッポリ入ったような気がしました。
試しに母を想像してみましたが
憎しみや恨みは湧いてこず
ただの
一生懸命な30代の女性に見えました。
あれ。
これって
赦しの一つの形なんじゃないか
と理解しました。
ちょっと、ここまで到達して、感無量。
じつはそれから8月にかけて
また次の境地に行ったのですが。
その話はまた日を改めて。
母親を赦す
もしかしたら時間がかかるかもしれませんが
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