コンサートに行きました。数週前にも“レセプショニスト”がぬかりなくアテンドしてくれて至極快適だったのです。
その頃よりはだいぶ機動力上がり自信がついたので「今回は自力で大丈夫です」とメールしたところ「順調に回復されているとのこと、安心いたしました」と返信が。まあ~、誰が書いたのかしら、美しい文章です。
ゲートを入ると先日のレセプショニストがどこからともなく飛んできます。「前みたいにリフトを使えばお帰りの際玄関前の階段は降りずに済みますが?」と訊かれてハイもう自分で降りれます!と回復ぶりを報告。エレベーターに乗り込むところを見送られたかと思うと着いた先で別の係が待っています。休憩時間には「お手洗いまでのご案内ですね」と席まで迎えに来てくれます。またエレベーター出たら別の係が「お手洗いまでご案内します」。みんなが私のことを知っているのは恥ずかしいけどうれしい。終演後も。どこのホールでもそうなのかな。音楽を聴いてもらうために総力結しているのですね全員。
さてさて席に着いてからプログラムを読んでしまった、と思います。共演の歌手がお目当てだったから詳しく見てなかったんです。てっきりどこぞの管弦楽団かと思いきや、少年合唱団でした。そうかー、合唱は興味ないんだよなー。それに、成熟した声の方が好きだし。でも、冒頭で後ろから声がして、二手に分かれて客席の間を進んでくる様に早くも涙。やられました。
舞台上の一人一人の綺麗なお顔を見ながら、全身全霊で歌っていることに感動します。それに寮生活で、ということは一日中音楽の勉強をして、親元離れるだけでなく国も遠く離れて演奏旅行しながらベストコンディションを保っているのだから、彼らの自分を律する力に敬服します。あるいは、歴史ある組織というものの力、あるいは神に歌を捧げるという大きな目的が彼らをそうさせているのかも知れません。
いつか観たパリ・オペラ座バレエ学校のドキュメントを思い出しました。「僕らは外の世界を何も知らない」って言っていました。地元小学生を学校に招く交流会の様子もありました。バレエ学校の生徒が“普通の小学生”ととっても楽しそうに遊ぶ様子、お互いにどんな生活なのかを質問し合うやり取り、踊りを観た小学生が「自分たちと違って大変そうだけど素晴らしい」と心から敬意を示しているのが印象的でした。
自分を顧みて、世間のなるべくたくさんをなるべく早いうちに経験するべきだと思い込んでいたことに気づきます。そしてそれに到底到達できていない自分をまだまだダメだと思ってきたことも。
人のご縁とはとってもうれしいもので、こうやってお目当て歌手を追っかけているつもりが、彼女のお蔭で自力では探し当てられなかった感動に出会うことできるのですね。
ところで合唱団のみんな、ある意味プロらしく真面目な表情で演奏するのですが、ソロパートのある曲が終わると指揮者(この老先生が子どもたちを見守るさまが優しい!)がその子を2回ぐらい引っ張り出してお辞儀させ拍手を受けさせるのです。その時ばかりは初めてその子ははにかんで真っ赤になって、列に戻っても興奮冷めやらぬ様子で楽譜をパラパラしていたりする、それがとっても可愛らしい。やっぱり人は賞賛されるとうれしいよねー。
感動と余韻を胸に、いつもは立ち止まることさえしない場所に留まってみます。滅多に関心を寄せない近所の光景。身の回り再発見という日々です。
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