最初に、謝罪させていただきます。
本日私は私個人の至らぬ時間の使い方により、
「らぶとらいおん!」というチーム
そして、国際関係論研究室の
足をひっぱる、それどころか名誉を傷つける行いをしました。
「あたりまえ」のことを大学4年生になってもできない、
「大衆」でも、ましてや人間でもないです。
本来ならば今日、この場に参加する資格はありませんでした。
それにも関わらず、ゼミに参加すること、そして発表をできる
機会を与えてくださった、ばっち先生、らぶとらいおん!の
皆さまに心から感謝致します。
二度と同じことを繰り返さないように
入念な確認と準備を行います。
申し訳ありませんでした。
本当にありがとうございました。
ではレビューにうつらせていただきます。
4月25日(木)に行われた新書輪読、
今回の新書はこちらです。
平田オリザ『わかりあえないことから:コミュニケーション能力とは何か』
(講談社現代新書、2012年)
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881772
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【タイトル】
「対話」で磨かれる試行錯誤サイクル
コミュニケーションとは一体なんなのか。
→「異文化理解能力」と「同調圧力」のダブルバインドにある日本社会
・異文化理解能力→異なる文化、文化的背景を持つ人も
その背景を理解し、時間をかけて説得し
妥協点を見つける力
・同調圧力→上司の意図を察して機敏に行動する力、和を乱さない力
現代日本のコミュニケーション能力の問題点
→「喋れない」ではなく「喋らない」、意欲の低下
・言わなくても単語で喋ればわかってもらえる
・少子化による「他者」の消滅
・伝わらない経験の不足
→自分とは異なる他者との体験教育に重点をおくべき
コミュニケーション問題の顕在化と多様化
・「無口な職人」ではなく、コミュニケーション能力が必要とされる時代へ
・日本人のライフスタイルが変わった
→必要最低限のレベル「その程度のこと」のコミュニケーション能力が重要
―コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならなう。
その程度のものだ。その程度であることが重要だ(p.32)
「対話」がない、わたしたちの文化
→欧米の「説明しあう文化」への摺りあわせが必要となる
<著者の「会話」と「対話」の定義>(pp95-96.)
@「会話」→価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり
@「対話」→あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。
あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときにおこるその摺りあわせなど
☆「対話」の原理:ある集団が、子個人ではどうしようもない出来事に
直面したときに、それまでは自覚していなかった
価値観と世界観がぶつかりあうことが、「対話」の原理。
"わかりあう文化"に暮らすわたしたち
・世界では少数派な文化であるという認識をもつ
・「対話」は「対論」(ディベート)ではない
・「わかりあえない」虚しさに耐えることが重要
・「対話」のレベルになると間投詞が多用され、
意味をもたない「冗長率」が増す
・コミュニケーション能力が高い人は「冗長率」を操作している
・急いで作った国民国家が日本の「対話」の概念を消していった
☆けっして文化的にヨーロッパのような「説明しあう文化」に
劣っているわけではないし、「会話」と「対話」の違いを認識できることは
わたしたちにとっては強みになる。
コンテクストを理解する能力
コンテクスト:その人がどんなつもりでその言葉を使っているか(p.161)
・わかりあえないことを前提とする
・それぞれの国や民族にはそれぞれの文化がある
・コンテクストの外側にある言葉から「ずれ」がおこる
・少数派であることを理解し、多数派にあわせていかなければいけない
・「対話」でコンテクストを共有することが可能
・他者の「気持ち」への同一化を目指すのではなく、共感を目指す。
*日本語の中でもおこっていること、を自覚しておく。自分は少数派?多数派?
自分で生きぬいていかなければならない
→社会が守ってくれるというのは幻想
・協調性から"バラバラなままでどうにかやっていく"(p.207)社交性を身につける必要がある
・みんなちがって、みんなたいへん
・わからないから放り出すのは、危ないし、危険。
・「たいへんさ」から目をそむけない
・痛いと迷いを乗り越えると何かがみえる(はず)
・演じるサルを楽しめ
*「わかりあえない」を前提とした「対話」によって
試行錯誤ズのサイクルは磨かれていく
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以上が発表内容です。
こうレジュメを再び文字化すると
「ああ、ここは無駄だったな」とか
「ここをもっとこうすればよかった」など
伝えたいことをどう伝えるか、の構成も
反省できます。
今回の私の発表は自分でも
筋が見えません。
もっとインプットに時間をかけなければ、と改めて思います。
ではディスカッションレビューにうつります。
今日のディスカッションで最も心に残ったことは
ばっち先生からの、お言葉です。
「みんなちがって、みんなたいへん」はどういうことだと思う?
ばっち先生は、この本は、どこの層に向かって書いてるかが
はっきりとわかる、非常にウエメセの本だということを教えてくださいました。
わたしが思う「たいへん」と
わたしとは違う日本語を持つひとの「たいへん」は同じではない。
ということ、そして著者がいっていた
「みんなちがって、みんなたいへん」の言葉に
こめられている違う世界の言葉を、
ばっち先生の翻訳により、はっきり自覚しました。
また、まる。がプレゼンの最後で述べてくれた
「演じることは責任が伴う」
重く響きました。
どの仮面をかぶるにしろ、かぶったなら
最後まで演じ続けなければならない。
そしてそれが無理なら、自分で設定を変えていかなければならない。
「責任」という言葉にはどれくらいの意味があるのだろうか、
言語的弱者の私には考えられないほど、
たくさんの意味があるのだろうなと思います。
こういう、違う文化背景をもつひと、
明らかに自分より広く・深い世界に住む人と出会ったとき、
またその人たちの存在を知ってしまった場合
(現代はどの層の人達もすぐに出会えるので)
たいてい人は、
・物怖じする
・卑屈になる
・開き直る
このようになるだろうと
ばっち先生は教えてくれました。
ちなみに私は卑屈になるタイプです(聞いてない
しかし、知らない世界があるからといって
もう目をそむけることは不可能であると
この本を読んで学びました。
卑屈になっても、
「たいへん」と向き合いたいです。
言語的弱者の私からみえる「たいへん」ではなく、
多数派からみえる「たいへん」を知りたいので
しっかり、本を通して他者と会話をし、
自分の想像力の壁を広げていきたいです。
↑まる。が前回の翻訳教室と綺麗に
結び付けてくれました。ブログでの共有
楽しみにしています。ありがとう。
最後に、ばっち先生、
また私の不適切な言葉遣いについて、
ご指導していただき、本当にありがとうございます。
・「ことば」の使い方
・独自の戦いの多さ
たくさん課題を持つ自分自身に欠けているもので
私自身が切望しているものです
もう『「修正」していきます』とはいえない段階にいます
強く自分自身を戒めます。
最後に、次のゼミ、すなわち
5月に入っての最初のゼミは、
合同ゼミです!!!!!!!
3年生、わたんぽぽのみなさんと
初めての輪読…!!!!!!
らぶとらいおん!プロュースです!!!!
しっかりと確認、準備をして
11日に臨みます。
冗長な文章に目を通して下さり、
ありがとうございました。
かおちゃ