ちゅみこのブログ

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IQちょっと高めの発達障害のある一人息子と、遅咲きながら、色んな事をいつまでも、現実からかけ離れて、地味に夢見る母親との成長記録(ストーリー)どこまで進化できるのか!?
母子家庭でも、何とか生きてる
発達障害があっても、奇跡は沢山転がっている✨

今年は、生きるということにおいて、直面する様々な出来事がありました。


そして、これ以上今年はきっと、落ちることがないであろう死と向き合うことになりました。




2024年8月15日。



私にとって一番の理解者であった祖母が永眠しました。


人の人生は、分からないものです。そして、何が正しいとか、何が間違っているとか、なんかそうゆうのも分からないものです。上手く言えませんが。



私は、天を仰げば何かが叶うとか、魔法的なものは信じませんが、御先祖様の力・繋がり。偶然の力や、虫の知らせのような事は、あるのかなぁって思ったりします。



人生は、きっとなるようになっているのだろう。みたいな。



出来事には、意味があって導かれている。みたいな。



祖母は、私が人生で一番腐りきっていた頃、側で一緒に過ごしてくれた存在でした。


どんな生き方をしても、否定することもなく、私という存在を誰よりも受け入れてくれた人でした。

(両親とは、その頃両親の理想の私にならなかったことで、仲違いしていました)


きっと、彼女が居なかったら、私は精神的に崩壊して、今がなかったかもしれません。



介護の世界に入ったのも、きっと祖母の存在が大きかったのかなと思います。実際は、介護の世界は理想と現実の差がありすぎて、仕事と割り切れない私には、ちょっと違うのかと考える日々だったりもするのですが…。



発達障害の息子を授かったのも、過去から今思えば、点と点が繋がって、線になっての今な感じがするのです。








祖母は施設に入っていたので、皆で集まって会いに行くことができませんでした。

もう、反応しないと言われて駆けつけたのですが…。



手を握り、しっかり話しかけると…



うっすら目を開けて、何か必死に話そうとしてくれたのです。


何を伝えたかったのかは、正直理解出来ませんでしたが…。



そして…


本当に…


本当に…


こちらに住んでいる身内全員が、会いに来るのを待っていたかのように…



最後、私の父が顔を会わせて10分後…



この世を卒業する事になりました。



しっかりと収骨まで、人とのお別れを最後までしたのも、正直祖母が初めてでした。(ひょっとしたら、父方の祖父母で経験したかもしれませんが、記憶にはありません)



正気な自分と、悲しみに暮れる自分と、なんだかわからない状況でありつつ、日々に追われていく中で、ようやく通常に戻った感じです。



身近で、人の誕生が続く一方で、いつかは迎える人生の卒業…。




実は、祖母が亡くなる少し前…



父は【間質性肺炎】と診断されていました。

指定難病です。今は元気だし、もう69歳になりそうなのに、仕事も続けている。幼少期は、厳しくて苦手だった父。

でも、今は丸くなって、むしろ愛おしいくらいに大切な親。特別な治療を拒み、今は変わらない生活を望みました。


なので、父の気持ちを尊重して、なるべく長く自分らしく生きれるように接したいと思う。


 今年の前半は、本当に色々考えることがあった。後半は、穏やかに過ごしたい。


 「社会のなかで、いかに自分らしく生きるか」


そう考えると、いい歳をしながら、まだまだ定まらない自分。

でも、まぁいいかって、今はなんかそうゆう感じだ。