見えていることより、見えてないことが障害になることが多い。
私の今の仕事は品質管理課で働いている。
今日は品質に関し不具合の電話があった。
聞いてみると、品質不良なのか、間違い製品が納入されているのか、いっこうに埒があかない状態であった。
とにかくピッチ幅が違うからなんとかしてくれの1点張り。
ピッチ幅とは、穴と穴の間隔のことで、これが違うと、穴を止めるものとあわなくなり、
合わせられないことになる。
あわせられなかったことは事実なのだろうが、製品品番が合っていてピッチ幅が違うのか、
そもそも製品の出荷間違いなのかで対応が変わってくる。
ましてや相手の発注間違いということもある。
間違いは間違いなのだが、対応が大きく変わるので、
同じ取引業者として少し教えてくれないかということを頼んだだけなのに。
間違いでいかに自分たちが現場で手直しが大変かという文句しか言わない。
そんで、忙しいから出荷できるまで電話してくるなということだった。
今一歩確認してくれれば、かなりのブラックボックスが解明されるのにってことはよくある。
営業当時お客さん対応の勉強にと、家電メーカーのクレーム電話の対応係の方の本を読んだ。
有名家電メーカーでしたが、当時ですが品質クレーム(急に)製品が動かなくなったとか)があって、一番多かった原因は、
電源コンセントが入ってない、抜けた、電池切れということでした。
あと一歩確認していただければということですね。
男女の恋愛でも、結婚して一番最初の衝突は、わかっていることより、わかっていないことで起こるといいます。
独身時代に想像してることは話会うとかの対策をとれば問題にはなりません。
問題は、「想定外」のことです。
なぜ「想定外」のことを対処できないのでしょうか?
それは、自分が育ってきた家庭や学校環境では至極当たり前だったからです。
疑わないような当たり前のこと、当たり前だと思ってたことですね、
が問題の対象となります。
同じ日本人の中でもそれぞれ異文化であり、「えっ」と思うことを平然と行っていることが結婚後わかります。
そういうものの中から、譲れないものが出てきたらもめることになります。
もちろん愛で話会っていけばいいのですがね。
→言いたかったのは気づかないような当たり前のことが問題の発端となるということです。
問題だと気づいていることは自分も対処したり、気にしたりして問題にはなりにくいものです。
無防備な無意識なものの中から、生まれてきます。
・・・つまりは無意識の話です。
習慣化してしまって当たり前になったものは、無検証、無プロセスで一瞬で次に行きます。
習慣化して、困ったこと
たとえば、昔の出来事に対応したばっかりに身について、それからずっとそのままの考え方のパターンなど。
みなさん、それは私独自の考えだと思って、場合によっては個性くらいにまで思ってるかもしれませんが、
それは後付で良いように仕立てただけで、昔から同じ考え方をしています。
昔の経験によって方向づけさせられた方に考えるようになってます。
「わたしって~できない人じゃん」
「えっ?なんで決めつけてるの?」なんて思います。
無意識なので疑いません。
一瞬なので疑えません。
そういう隙的なものなのです。
だからなかなか見つけにくいのです。
自分の無意識は。