パラダイムシフトできるかと、それで生きるとはまた違う。


1回目のまぐれあたりもある。2回目以降の実力を持たなくてはいけない。


引き寄せの法則は信じれるどうかが基本。


今の分岐点は創造者として認めてもらうために、下支えするの力の試験があるところ。


根源からのテスト、踏み絵がある。いつもギリギリのことをもってくる。楽勝はない。いまのところ気づけた試験は2つ。


結局はエゴや左脳の制限の解除と繋がってくる。疑いのベースでの解除。


パラダイムのシフトは風のようにはやってこない。実践したやつだけがわかる。


なぜ実践かというと、①選択の自由が与えられているから。


暗闇の中での光という自分の発見と同じように、相対性の中での創造者としての認めるかの試験。


自由選択の中で選択するから、真の強さが生まれる。。


他人の批判や、誰も見ていないときに同じ行動がとれるかが本物。見て無いから批判ないからといって違う行動するような魂は軟弱だ。この世過ぎる。高い道徳観、倫理観かもしれない。


あるレベルのあの世の仲間になるには、そういうことが求められる。


主体者の資質的なものかな。



②創造を下支える力のもう一つは、忍耐力。


親の愛、神の愛等で書いたように、とりあえずは愛は回数で数値化しても70%ほどは当たってのではないかと思います。


先に思いを宇宙に送り、時差あって引き寄せされ現実化するという一般の話。


話自体はそれでいいのだろう。漠然としてるだけで。


で、それの下支えする力は、待つこと。忍耐力。仏の顔も3度までというこの世の損得の程度では駄目だ。



話変わるような変わらぬようなですが、なんでか上記を書いてるときに閃いた。なんかつながりが見えないけど、まっいいか。思いの強さつながりか?


委ねる=捨てるくらいの肉体と意識ぎりぎりの時、それと引き換えにもたらされるような真理


捨ててこそ、諦めてこそ気づく。執着から解放されるから。


実際気持ち的に投げても、特には変わらない。


あれ、何を投げたんだろう?そして、何が残っているのだろう?


ここでパラダイムが事態に合うものをもとめて今までの地点から探しながら動き出す。


投げたものと、残ったものが思ってたものと違うぞって。


投げたのは私の幻想という巨大なバーチャル。あれって。確実にそれで苦しんできて、それでまいってしまって全部投げたのに。憑依されていた自分。


残ったのはあるということ。足元の根っこから立っている私。ありのままの私。



あっそうそう、だから、ぎりぎりで捨てたとこぐらいの本当に純粋で今にいる心の状態が大事って話。


捨ててなかったら、それは雑念が入った重い電波ということになるよね。


宇宙まで届くのかな。


宇宙は真空で瞬間移動のテレポート状態よ。


早い軽い


端折っちゃったかな。