先日、義姉を誘い秋のお彼岸のお参りへ行った。今回は訪看さんの日にちがお彼岸の時期に重なったの



お寺さんが見えた辺りから雨がポツリポツリ、お墓の掃除を始める頃にはザンザンぶりに…



お陰でお墓の埃が取れてすっきりとして、一緒お掃除してくれたのかしらと思ったりしてね



手を合わせ目をつむるとお線香の香りに包まれ、先程まで気にもしていなかった雨粒が落ちる音や風で気がサワサワと鳴る音や遠くの方でお参りの方たちの話し声が聴こえてくるものね…









お彼岸ってどう言う意味があるのかしら、あの世とこの世が繋がるようなイメージを持っているのだけれど…


調べてみると『彼岸』とはもともと「河の向こう側」と言う意味があり、仏教では生死の海を渡り到達する悟りの世界を意味するようだ


その反対側の迷いや煩悩に満ちた私たちがいる世界を『此岸(しがん)』と言う


『彼岸』とは仏教では煩悩や悩みに打ち勝ち悟りの境地に至るための修行の時期なんだって…


それが日本ではなぜお参りの風習として伝わってきたかと言うと、仏教が伝わる以前から日本ではご先祖様や自然を崇拝する風習があり、自然すなわち太陽への信仰を指した『日願』が仏教の『彼岸』と結び付いたと言う説もあるらしい





お墓に手を合わせると周りの音や気配や香りなどが鮮明に感じられ神聖な気持ちになる


考えてみると外で目をつむり何かを想う時間はお参りの時ぐらいしかない


そして息子を想う


お散歩をしていると眠っている時もあり、もしかしたら息子は私よりもっと研ぎすまれた感覚で何かを受け取っているのかもと…


病気で失っていくものがある中、私には感じえない何かを体験しているとしたら


息子の感じているものに畏敬の念を抱いた瞬間だった






今朝もお仏壇に手を合わせ目をつむり、今日を迎えられた事への感謝の気持ちを伝える


でもね、こんな事も考える


「先に逝ってしまいズルいよ…何年も手を合わせているとあなたの辛い事は忘れて行って、良い事ばかりが際立ってくるじゃない、そんなのズルいよ」なんてね…