今朝、大切なバッグを財布を入れたまま、なくしてしまったんです。

 

とても動揺しました。

 

 

 

 

ただ、それは、、

 

夢の中の出来事だったのですが。。

 

 

 

 

 

とてもとても眠くて

夢うつつの状態で起きた時、

 

「あー、お財布に数万円を入れたばかりだった…💦」

 

とがっかりした想いもあったりして(^_^;)

 

 

 

その数秒後に

 

「あ!!夢だったんだ!」

 

と気づきました。

 

 

 

 

それは

 

ほっとした感覚でもなく

 

嬉しいでも

 

よかったでもなく、

 

ただ、気づきました。

 

 

 

 

お金がなくなっても

 

大切にしていたものがなくなっても

 

夢なのだから、すべて大丈夫なんだ

 

と怖れをリセットした感じ。

 

 

 

 

もしかしたら生きていることも

 

これと同じではないかという感覚が

 

その後、続いたんです。

 

 

 

生きているといろいろと不安や不満、思い通りにいかないような感覚や

 

思い通りに行っているのに重くなる感覚もあります。

 

 

 

悩みも、

過去の栄光からの重圧も。

 

 

 

それもこれも

 

命が終わる時には持っては行けない。

 

 

 

 

命が終わる時というのは

 

どこか、

 

夢からさめるのに近いのではないかと。

 

 

 

そんな不思議な感覚を覚えながら起きた今朝のできごと。

 

 

 

 

目覚めている感覚があると

 

もっと人生を気楽に楽しめるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

実は

 

財布が入ったバッグをなくした夢は

 

初めてではなかったんです。

 

 

 

似たような夢を

 

最近見ていました。

 

 

 

 

「あー、あの時にちゃんと反省していれば

 

財布をなくさずにすんでいたかも知れないな(´;ω;`)」

 

と、

 

以前見た夢を覚えている私がいたんですね。

 

 

 

なぜか

 

それを夢だとは覚えていなかったのですが。

 

 

 

 

夢を見ているときに

 

今、夢を見ているとわかっていたこともあります。

 

夢に自分が出演者として出て来たりするんです。

 

 

 

 

自分を見ている自分がいる感覚。

 

その時点ですでに

 

自分がいなくなっている感覚でもあります。

 

 

 

 

 

 

現実と夢。

 

いったいどういう繋がりがあるのか。。

 

 

 

 

あらためて興味深く感じている自分がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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遠隔身体調整、復活します。

 

お待たせしてすみませんでした(^_^;)

 

 

人として生きていると

役割に徹することを求められることがあります。

 

役割に徹しようとする律儀な人であればあるほど

役割として演じている自分と

個として存在している自分自身を

いつしか同一化し

 

演じている役を終えても個に戻れない役者のようになってしまっていて

 

戻れなくなっているどころか

自分が役割だと勘違いしている人がとても多いことに最近気づき

驚いています。

 

 

一般の人と比べると、役割がずいぶん少ないと思っていた私自身でさえも

 

長女であるとか

姉であるとか

 

未だに役割を無意識に背負っていたり

当たり前のように求められてイラっとしたり。

 

 

 

もっというと

 

女であるとか

年上であるとか

 

そんなことから異性の友人とぎくしゃくしたりして(^_^;)

 

 

 

なんだか変だな?

なんだかうまくいかないな?

 

そう思っていた最中には気付けなかったこと。

 

後で振り返って全体を観た時に

全部そこから派生していることがみえてきて唖然としました。

 

 

逆に言えば

そこに気がついたことで

一度フラットに戻して自分の呼吸を取り戻せば

全部ひっくり返るのかも知れません。

 

そんなことを感じて言葉にしてみました。

 

 

無意識でよかれと思ってやっているので

やっている当人はまったく気が付いていなかったりします。

 

でも子供や敏感な人はどこか変だと気が付いている。

 

 

社会人としては優秀な社員ほど家庭が崩壊していたり

逆に

いい夫をやりすぎて本当にやりたいことを無意識に諦めていたり。

 

 

そして,,

私の周りの素敵な方々は役割を役割としてやっていませんでした。

 

私は私であるというスタンスで生きているので

肩の力が抜けていて

好きなことを思い切りやっているけれど

役割を担うエネルギーを無駄につかっていないから人にも優しい。

 

どこからそんなパワーが生まれるの?

なんて不思議に思うほど、

元気にあちこちを飛び回っています。

 

 

今度友人に会った時

ぜひ秘訣を聞いてみようと思います😊

 

 

 

 

 

出逢いは神様からのギフト。

出逢った相手にいつしか不満を持ち、離れることを繰り返してきたけれど

それは私自身がギフトを自ら放棄しつづけてきたことだと気が付いた。

ここから逃げたい、もっといい世界に行きたい、というのは頭の中からの渇望。

 

そうじゃない。そっちじゃないんだ。

ただ感謝して受けいれる。それの繰り返しなんだ。人ができることは。

 

人間は望み通りになんかできないんだよ。出逢う人としか出逢えないんだもの。

言葉にするとありきたりすぎて新鮮味がないけど。

 

諦めるのが幸せというのはそういうこと。

自分で書いていて、後でビックリする。

 

前記事で書いたことは、ある意味真理だ。本当のこと。

大きな呼吸と諦め。それで幸せになるってのは本当だ。(願いは叶うっていうのも本当なんだけど)

 

でも全然できてなかった。

出逢いはきっかけにすぎない。その後、どう出るかは本人次第。

 

「こっちがいい」「こうしてほしい」という、不満の反対側にある理想を自ら創っている。

身体はその葛藤を嫌がっているのに。

本当は安心したがっているのに。

 

みんな一人芝居だ。

なんてこった(^_^;)

 

🌟🌠🌟🌠🌟

 

前記事もそうだけれど

頭で考えたことでなく、言葉が降って来ることがあります。そっちが本当に自分自身が感じていることでもあります。

 

だから自分で書いた記事なのに、自分ではできていないこともあって。

そんな時は俯瞰して自分の記事を新たに読み、後から腑に落ちるという面白い経験をしたりします。

だからこそ、アウトプットは必要なのだとアウトプットしてからわかったりします。

やっぱり違った(・・;)ということもしょっちゅうありますが。

 

物事の本質はシンプル。

そして頭は複雑にする天才。

 

いかに考えずに好きなことをしていくか。結局はそこに尽きるのかも知れません。