最近起きることや気づきは面白い事が多いです。

 

先日、数人でZOOMでお話しする機会があったんですね。

 

そのお話しした時に感じたことをみんなにシェアしたんです。

でもその時に、反応が少なかったんですね。

多少わかりづらくても、自分ではいい感想だと思っていたんですけど( *´艸`)

 

で、他にシェアした人の感想には、共感する人が多かった(ような気がした)んです。

 

でも、なんだか納得がいかなかった。

 

その時に、いろんなことに気が付きました。

 

 

数人で話していると、どうしても話す人と聞く人ができてしまう。この時も相当偏っていました。

それがねー、なんだか後味が悪かったんですね。

誰もが貴重な時間を作っているにもかかわらず、非常に偏っている。

そのことがひとりひとり、それぞれのしたいことなら私は違和感を覚えなかった。

でもね、顔の見えるZOOMで話していると、どうしてもそうは思えなかったんです。

実際、私は話し足りなかったし、話しの内容に興味をもてないまま時間が無駄に過ぎていく気がしてくる始末。

 

そんな時、話している人でなく、聞いている人に興味が沸いて来ました。

その方たちを観察していると、明らかに全体を見守っている姿勢が見えました。

そうなんです。普通、話をしている人にフォーカスしますが、実は安心して話せるのは、周りに聴いてくれる人や見守ってくれる人がいたからだったんです。

そのことに気づいたら、黙って聞いている人の愛の深さや強さ、器の広さに圧倒されました。

きっと今までもずっとそうやって私も誰かに見守られてやってきたのだと。

なんだか穴に入りたい気持ちになりました…

 

そして、そのうち私も興味を持って会話を見守っている時間が増えました。

興味がないと思うからつまらなくなっていただけで、ちゃんと見ていたら昔の自分を見ているようで興味深くその場にいられました。

「若いな~」「可愛いな」「言葉での助言は意味をなさないな」

なんて感じに。

これが、禅タロットでいうところの「円熟」なのかしら?

 

 

まぁ、そのことを感想として抽象的に書いたものだから、他の人には意味が通じないはずですね(^-^;

他の多くの方たちは話している人にフォーカスしますし

実際、話している人を評価していましたから。

私は話しの内容よりも人の在り方に興味があるんですね。

 

 

ただ、どうやら私はそういうことを普段からしているらしいです。

つい先日も、知り合った方とおしゃべりしていて似たような事がありました。

 

今までいろんな人に話してもらちが明かなかったことを、なにげに私に話したら

「そうだったんだ!」「そういうことか!」と気づきが連発であったみたいです。

ずっと驚いていて面白かったです( *´艸`)

 

話している人の話しだけを聴いていないんですね、私はきっと。

全体を見て何が起きているんだろうかと感じたことを相手に伝えていました。

 

今まではそれがいらぬおせっかい、と取られたり

あんまりよいことはなかった記憶があるのですが

もしかしたら、この苦かった経験は私の持ち味に気づくためだったのかも?

 

あまりに同じようなことが続いているので、ちゃんと気づきを受け取るのは

実は私の方なのかもしれないなぁと最近感じ始めている所です。

 

 

それにしても。

やっぱり私は見守っている方の話しをもっと聴きたかったなぁ。

 

 

 

 

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