こういう訳の分からないタイトルの時は危ない

飼い主の michi、飼い猫ネグレクトをごまかそうとしているに違いない
昼間、独りで過ごすようになり僕も調整が難しいんだ

特に水を飲むタイミングが
飼い主は忙しい忙しいといいながら、大輔君のブルレイが来たら、お友達と早速鑑賞会を

翌朝の事を考えて、michi は珍しく早寝をし
僕はこのお友達と、遅くまで大輔君の演技を見ることになった
ネコの僕から見ても、大輔君は、大輔君は..........ふん、悔しくて正直に言えるか

ネコにも分かったよ。現役最後の2年は苦しかったという大輔君の言葉が
僕には鋭い臭覚があるからね
くんくんmichi、残業はしないで早く帰るからって約束したのに、遅い

あ、やっと鍵をガチャガチャする音がする
帰ってきた
玄関で抗議のバリケード
部屋に入りたかったら、オレの屍を越えて行け

ありゃ、簡単にまたいでしまった

イヤだ、もう~ (マイク、何をやってんの?)
そして、忙しい忙しいと言いながら、木曜日は仕事を休み、茅ヶ崎の奥様と歌舞伎へ

中村勘九郎の「棒しばり」を見て感動して帰ってきた彼女
勘九郎の舞台の良さは、鍛えた芸の力はもちろん
お客様に見せたいものがあると、全身全霊で披露する彼の心意気が、確実に伝わってくる事
一流の役者として、身体のキレ、軸の確かさ、手足の細やかな動き、音とり、タメ、ゆるみ
それら鍛錬の成果はもちろん、大事
この舞台はさらに特別だった
勘九郎の次郎冠者と坂東巳之助の太郎冠者
父、勘三郎(当時勘九郎)と三津五郎(当時八十助<やそすけ>)
今は亡き父親たちの名舞台を受け継ぐ、中村屋と大和屋の跡取り二人
江戸時代の中村座と守田座、この座頭である中村屋と大和屋(本名は守田さん)
重責いかばかりか
勘九郎には、一方で巳之助を育てるという責任もある
観ているお客の多くは、父親たちの舞台を見ているし、こちらの思い入れも深い
そして、彼らは私達の想いに見事に応え、舞台と客席の両方を繋ぐ安堵と感謝の渦巻きが生まれました
父親たちの魂もそこにいましたね、確実に
これは、ライブでないと味わえません

勘九郎の舞台を見ていると、いつも高橋大輔を思い出すのは
2人が友達という事実を超えて、表現する者、伝える者の共通のパワーと覚悟が見えるから
観客と演じる者が引き合い、そこに磁場を作り出しているから
彼らのオーラは、観客のパワーを受けてより強まるのでしょう

金曜日のお台場で行われた大輔君のトークショー

体力の限界が近付いていた飼い主は出かけませんでしたが
彼の挨拶に、表現する場に戻る覚悟が生まれているのが感じられ
そりゃそうだよねと
クリスマスオンアイスの楽公演。あれを生み出した男が、戻らない筈はない
髙橋大輔を3日やったら、やめられませんよ
ファンですら、止められないのに
僕の飼い主であることは? 何だか、やめそうで怖いな
ぶつぶつとか悩んでたら、ベッドに引きずり込まれた (お、危ない表現
)僕、抵抗したんだけど、のどがゴロゴロいってしまい喜んでるのがバレバレ
仕方ないから、彼女の腕枕で添い寝してあげたよ
でも、なんかクヤシイ~

michi は、クリスマスか新年に、大輔君主役のショーがありそうだなと勝手に企画中
いい気なもんだ





