池田浩士さん(京都精華大学教授・・・ファシズムのもとにおける文化の研究者)の講演より
「ファシズム」は反体制運動の呼び名だった
ファシズムはイタリアが起源。19世紀末にシチリアで農民反乱が起こり「農民ファッショ」「シチリア・ファッショ」と自分たちの運動を呼んだ。ファッショとは束という意味で、もともと反体制運動の呼び方だった。
ドイツのファシズムは、ナチズムとして自らを国民社会主義と呼んで始められた。(ナチスの正式名称は、国民社会主義ドイツ労働者党)
なぜナチスは「エホバの証人」を真っ先に弾圧したのか
ナチズムは、600万人のユダヤ人、50万人以上のロマの人たち、同性愛者、障がい者、アルコール中毒者などを殺しました。しかし真っ先に弾圧したのは「エホバの証人」信者でした。彼らの戒律のうち、国家儀礼の拒否、つまり国旗への敬意の表明や国家を歌うことを拒否することを一番の脅威だと感じたからです。つまり、国家儀礼を拒否する国民の排除が必要だったのです。
当時ドイツの6034人の信者のうち5911人が逮捕、2000人以上が虐殺された。
地方政治から準備された独裁
ナチスはチューリンゲン州で始めて大臣を出した。法務大臣兼教育大臣になり、教育改革を進めるとともに黒人文化禁止条例を作った。
1933年ヒトラー内閣が成立したとき、首相のヒトラーを除いて二つの大臣ポストしか取れなかったそのうちの1つが治安・警察・思想統制を管轄する内務大臣。
ナチスはいかにして独裁政権になりえたのか
クーデターでなく 合法的な選挙で政権をにぎり、しかももっとも 議席を得たときでも過半数に達しなかったのに、独裁政権となっていった。
いったん政権を掌握すると、他の政党を弾圧し、共産党議員を登院できないようにして、予算編成、条約批准、法律制定の権限を首相に与える全権委任法を成立させる。法律は、国会での審議や議決ではなく、政府の提案と国民の合意で成立することになり、たとえば人種差別法は1935年のナチス党の党大会で提案され、参加者に承認されたことで成立。
国民が圧倒的にナチスを支持した
ナチスは国民投票を頻繁に実施。国民は圧倒的にヒトラーを支持した。「ヒトラーと一握りの狂気集団が国民を弾圧して、ドイツをあのような犯罪に引き込んだ」という嘘の歴史像が戦後つくられた。そして国民の責任を免罪することになった。「ハシズム」をかんがえるときにも、国民、地方住民の責任を考えることが重要。
ハシズムと闘う為に
ナチスはマスメディアをたくみに利用した。政権獲得よりずっと以前から、各種マスメディアにナチ党員を意識的に送り込んだ。しかし、現在、橋下がおくりこんだわけでないのに、マスコミは橋下を持ち上げる。こういうことをまかり通らせてはいけない。
ヒトラーが地方政治から政権をとっていく過程をみると、それと同じようなことがいま起こりつつあるのを座視することはできない。
「ハシズム」に期待する人々に何を伝え、その人々の心をどう動かすことが出来るのか、地道な活動がいま問われている。
ながくなりましたが、大変参考になる講演です。同じ過ちを繰り返さないために歴史から学ばなければと思います
「ファシズム」は反体制運動の呼び名だった
ファシズムはイタリアが起源。19世紀末にシチリアで農民反乱が起こり「農民ファッショ」「シチリア・ファッショ」と自分たちの運動を呼んだ。ファッショとは束という意味で、もともと反体制運動の呼び方だった。
ドイツのファシズムは、ナチズムとして自らを国民社会主義と呼んで始められた。(ナチスの正式名称は、国民社会主義ドイツ労働者党)
なぜナチスは「エホバの証人」を真っ先に弾圧したのか
ナチズムは、600万人のユダヤ人、50万人以上のロマの人たち、同性愛者、障がい者、アルコール中毒者などを殺しました。しかし真っ先に弾圧したのは「エホバの証人」信者でした。彼らの戒律のうち、国家儀礼の拒否、つまり国旗への敬意の表明や国家を歌うことを拒否することを一番の脅威だと感じたからです。つまり、国家儀礼を拒否する国民の排除が必要だったのです。
当時ドイツの6034人の信者のうち5911人が逮捕、2000人以上が虐殺された。
地方政治から準備された独裁
ナチスはチューリンゲン州で始めて大臣を出した。法務大臣兼教育大臣になり、教育改革を進めるとともに黒人文化禁止条例を作った。
1933年ヒトラー内閣が成立したとき、首相のヒトラーを除いて二つの大臣ポストしか取れなかったそのうちの1つが治安・警察・思想統制を管轄する内務大臣。
ナチスはいかにして独裁政権になりえたのか
クーデターでなく 合法的な選挙で政権をにぎり、しかももっとも 議席を得たときでも過半数に達しなかったのに、独裁政権となっていった。
いったん政権を掌握すると、他の政党を弾圧し、共産党議員を登院できないようにして、予算編成、条約批准、法律制定の権限を首相に与える全権委任法を成立させる。法律は、国会での審議や議決ではなく、政府の提案と国民の合意で成立することになり、たとえば人種差別法は1935年のナチス党の党大会で提案され、参加者に承認されたことで成立。
国民が圧倒的にナチスを支持した
ナチスは国民投票を頻繁に実施。国民は圧倒的にヒトラーを支持した。「ヒトラーと一握りの狂気集団が国民を弾圧して、ドイツをあのような犯罪に引き込んだ」という嘘の歴史像が戦後つくられた。そして国民の責任を免罪することになった。「ハシズム」をかんがえるときにも、国民、地方住民の責任を考えることが重要。
ハシズムと闘う為に
ナチスはマスメディアをたくみに利用した。政権獲得よりずっと以前から、各種マスメディアにナチ党員を意識的に送り込んだ。しかし、現在、橋下がおくりこんだわけでないのに、マスコミは橋下を持ち上げる。こういうことをまかり通らせてはいけない。
ヒトラーが地方政治から政権をとっていく過程をみると、それと同じようなことがいま起こりつつあるのを座視することはできない。
「ハシズム」に期待する人々に何を伝え、その人々の心をどう動かすことが出来るのか、地道な活動がいま問われている。
ながくなりましたが、大変参考になる講演です。同じ過ちを繰り返さないために歴史から学ばなければと思います