午後二時四十六分。その時は突然やってきた。ぐらぐらと激しい揺れ。いきなりびっくりするくらいの大きな揺れだが、なかなか収まる気配がない。だんだん揺れが激しくなり、気がつくと電気は消え花瓶は倒れる。それでもまだやまない。いつやむんだろう・・・・そう思い始めてどのくらいたっただろうか。ついに最強の揺れがおそってきた。これまで経験したことのない、とんでもない揺れ。その揺れとともに頭は真っ白になり、気がつくとゆっくりと揺れは収まっていた。なんと長い揺れだろう。


 宮城県沖地震も経験した私だけれど、こんな記憶はない。こんなに長くこんなに激しい揺れは初めて。何とも言えない恐怖とともに、速く逃げなきゃと思う。まずは自宅へ。我が家には子供が四人いる。生後二ヶ月過ぎの双子。それと七歳、四歳の子供だ。双子と妻は無事だった。机の下に隠れつつ倒れそうになる食器棚を「倒れるな」と祈るように見ていたらしい。幸い、少し前に耐震のために入れた棚ががんばってくれた。それでもかなりの移動をして食器棚やテレビ台はぎりぎり止まっていた。


 それを確認してから子供達を小学校や保育園に迎えに行く。保育園は鳴き声がこだましていて、騒然としていた。その中をわが子を連れ出す。その後に小学校に。小学校は少し高台になる幼稚園に避難していた。そこに急いで迎えに行く。しかし、なかなか幼稚園の中は落ち着いていた。我が子のクラスはなんと宿題をしていた!笑 ただ、うちの子はまだ取りかかっていなかった、爆笑


 二人を連れてもう一度我が家へ。津波が心配だから避難所に行こうと車で動く。しかし、避難所が近づくとなんと大渋滞。それはそうです。避難所にはみんなが向かうのですから。車が渋滞をしていること、自分の車にはガソリンが無いこと。高台に止めて車の中で一夜を過ごす、と言う選択しもあったけれどガソリンがないので断念。覚悟を決めて自宅で過ごす。


 自宅に帰ると電気がつかない、ガスがない、水が使えない、とても不便な自宅が迎えてくれた。そして一番つらいことに、この日は雪。三月にしては冷え込んだ日に暖のとれない自宅はとても寒い。自宅で使えたものは、防災ラジオ付きライト二つ。それから沢山の服や毛布。最初の夜は着れるだけの服と毛布にくるまって夜を明かした。


 幸いなことに子供を迎えに行ったとき、保育園の近くのローソンが営業していた。とりあえず夕食となるように人数分の弁当を買い込む。と言っても選択の余地はない。何せ残っているものしか変えないから。でも残っていたのはパスタと丼もの。まずまず腹がふくれるものでよかった。パンやデザートなど、手に持てる限り買い込んだが、後から考えるととても甘かった。少ししたら復旧すると思っていたのだが、全く復旧する気配はなかった。厳しい現実。それを知るのは次の日だった・・・。


 こうして、驚きと恐怖の初日を寒さに震えながら過ごした。