悲しみを言葉に表すこと、それ自体が、悲しむことを整理することになります。
毎日の臨床で、コミュニケーションに「でこぼこ」の「ぼこ」がある子どもたちと過ごしていると、言葉で表すことがどれほど難しいことかがよくわかります。
発達にでこぼこの無い人から見ると、彼らは全く悲しんだり苦しんだり傷ついたりしないように見えます。悲しみ方、苦しみ方、傷つき方の形が同じではないからです。
身近な人が亡くなって、お葬式で皆が泣いている時に、何も感じていないかのようにいつもと同じパターンを繰り返していたり、鏡に夢中になっていたりするので、何も感じていないように見えるのです。
彼らは日々を言葉にして、整理して記憶していないのです。ビデオのように、記憶のかけらや出来事のかけらを、なんの整理もしないままに、頭の中の記憶の原野とでもいえるような場所に置いているイメージです。それらは何かのきっかけでいわゆるフラッシュバックのように出てきて、パニックを起こさせます。
発達にでこぼこの無い人から見て、なぜかという「脈絡」がつかめないので、悲しみを表しているのだとわからないことが多いのです。でも、たしかに悲しみや苦しみや傷つきがあって、それが突然現れ、彼らはとてもしんどい思いをしているのです。
喪失の悲しみ、特に悲嘆(グリーフ)は筆舌に尽くしがたく、こころのなかを言葉にすることは難しいことです。それを「自助の力」を借りて、同じような出口の見えない悲嘆(グリーフ)の中にいらっしゃる人たちに未整理のまま話し、それを受け止める場がグリーフケアをする場、私たちの場合は「ひろの会」です。
その中で筆舌に尽くしがたい悲しみや苦しみが、言葉になり、視線になり、態度や姿勢になりながら、場で受け止められ、形になっていきます。最初の自己紹介のように、ほんの数分でまとめることもできるようになるのです。
悲嘆(グリーフ)はまるで出口の見えないトンネルやうっかり落ちた深い穴のようなもので、それからどう出て歩き出せばいいか、周りの人の生きる時間に入れるかがわからなくなってしまいます。ですから整理できてくると言われると、自分の悲しみを軽く扱われているように感じ、腹立たしくなったり、わかってもらえていないという虚しさや無力感を感じたりします。
自助の力を借りて、先行く仲間たちの姿を見て、あなたの中に眠る力があなたの悲嘆(グリーフ)を整理し、言葉に変え、歌に変え、詩や短歌に変え、文章に変えていくのです。
前を向いて歩き出したと感じていないまま、前を向いて歩き出していくのだと思います。苦しいから藁をつかむように、なにかよい方法を見つけたい、教えてほしいとひろの会に集まられる方にそれを言葉でいくら説明しても伝わらないこと、実感できないことが多いです。そこでじっとともに歩むものとして、お待ちしているのがスタッフです。
自分の悲しみは自分だけのものです。大切に手放さず自分とともに歩むものとして形を変えていくことをお手伝いしたい。それがひろの会です。飽かず弛まずお待ちしています。
毎日の臨床で、コミュニケーションに「でこぼこ」の「ぼこ」がある子どもたちと過ごしていると、言葉で表すことがどれほど難しいことかがよくわかります。
発達にでこぼこの無い人から見ると、彼らは全く悲しんだり苦しんだり傷ついたりしないように見えます。悲しみ方、苦しみ方、傷つき方の形が同じではないからです。
身近な人が亡くなって、お葬式で皆が泣いている時に、何も感じていないかのようにいつもと同じパターンを繰り返していたり、鏡に夢中になっていたりするので、何も感じていないように見えるのです。
彼らは日々を言葉にして、整理して記憶していないのです。ビデオのように、記憶のかけらや出来事のかけらを、なんの整理もしないままに、頭の中の記憶の原野とでもいえるような場所に置いているイメージです。それらは何かのきっかけでいわゆるフラッシュバックのように出てきて、パニックを起こさせます。
発達にでこぼこの無い人から見て、なぜかという「脈絡」がつかめないので、悲しみを表しているのだとわからないことが多いのです。でも、たしかに悲しみや苦しみや傷つきがあって、それが突然現れ、彼らはとてもしんどい思いをしているのです。
喪失の悲しみ、特に悲嘆(グリーフ)は筆舌に尽くしがたく、こころのなかを言葉にすることは難しいことです。それを「自助の力」を借りて、同じような出口の見えない悲嘆(グリーフ)の中にいらっしゃる人たちに未整理のまま話し、それを受け止める場がグリーフケアをする場、私たちの場合は「ひろの会」です。
その中で筆舌に尽くしがたい悲しみや苦しみが、言葉になり、視線になり、態度や姿勢になりながら、場で受け止められ、形になっていきます。最初の自己紹介のように、ほんの数分でまとめることもできるようになるのです。
悲嘆(グリーフ)はまるで出口の見えないトンネルやうっかり落ちた深い穴のようなもので、それからどう出て歩き出せばいいか、周りの人の生きる時間に入れるかがわからなくなってしまいます。ですから整理できてくると言われると、自分の悲しみを軽く扱われているように感じ、腹立たしくなったり、わかってもらえていないという虚しさや無力感を感じたりします。
自助の力を借りて、先行く仲間たちの姿を見て、あなたの中に眠る力があなたの悲嘆(グリーフ)を整理し、言葉に変え、歌に変え、詩や短歌に変え、文章に変えていくのです。
前を向いて歩き出したと感じていないまま、前を向いて歩き出していくのだと思います。苦しいから藁をつかむように、なにかよい方法を見つけたい、教えてほしいとひろの会に集まられる方にそれを言葉でいくら説明しても伝わらないこと、実感できないことが多いです。そこでじっとともに歩むものとして、お待ちしているのがスタッフです。
自分の悲しみは自分だけのものです。大切に手放さず自分とともに歩むものとして形を変えていくことをお手伝いしたい。それがひろの会です。飽かず弛まずお待ちしています。