2012 年12 月28 日 発行
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皆さん、こんばんは。
2012年もあと数日となりました。
今年度最後のメルマガになります。
皆様のお蔭様で、今年も有意義な1年を過ごさせて 頂きました。
心から深く感謝しております。
さて、今年を振り返ってみると、意識が自分の中心から 離れているか、それとも、自分自身の深いところで繋が り、 中心に戻っているかで、人生が大きく左右していることを 感じました。
大切なのは、自分自身と深く繋がること。そこから自分 が 見えてきて、周りのこともはっきりと見えてくるのだとい う ことも感じています。
自分の内側ではなく、いつも外側に意識が向かっている と、 トラブルやアクシデントが頻繁に起きてきます。
自分自身と離れているから、自分の中心から離れている からエネルギーが弱くなり、マイマスの現象が起きるので す。
目の前に起こる現象に悩みながらも、すぐにあきらめて しまうのか、それとも解決策を求めて意識を深めるのか、 これが、シンクロや奇跡が起こる分岐点でもあります。
必死にその問題について考えたり意識を深めたりしてい る 時は、何事もなくて、意識をしなくなって忘れた頃に、 メッセージ や奇跡の現象が現れてくるものです。
来年は2013年 (13=とみ)富の年です。
無尽蔵の富も、無限の叡智も、自分の中にしかありませ ん。 外に働きかけるよりも、中に働きかけることが大切なので す。
来年も、外(ハズ)レよりも、中(アタ)りの年にして 下さいね。
2010年の年末に書いたメルマガの文章を掲載します。 =============================================== =========
さて、20世紀を代表する禅の思想家であり哲学者の 西田幾多郎氏のことが、道新の卓上四季に掲載されていま した。
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年暮れに(12月30日)
「善の研究」で知られる哲学者の西田幾多郎(1870~ 1945年)は、 多くの短歌や俳句を残している。それは学者の余技の域を 超える 量と深さを持っていた。
特に50歳からあとの歌には、<己の生を精いっぱい生き るため には、こう作らずにはいられぬ>という切実さがあった。 西田の孫で 教育 学者上田薫さんは、そう振り返る(「西田幾多郎歌 集」岩波文庫)
<死にし子の夢よりさめし東雲(しののめ)の窓ほの暗 くみぞれ するらし>。
第三高等学校卒業を直前に控えた長男を亡くしたのが、 知命(50歳) の年だった。
<妻も病み子ら亦(また)病みて我宿は夏草のみぞ生ひ 繁りぬる>。 その5年後、闘病を続けていた妻も失う。
不眠の夜もある。庭もただ荒れるままの日々-。生きて あることの 苦しみやつらさは、時代を画した哲学者にも例外なく訪れ た。
<われ未だ此(こ)の人生を恋ゆるらし死にたくもあり 死にたくもなし>。
悲しみに押しつぶされそうになっても、なお生きようと する自分がいる。
西田の歌からは、思索を生きる人も、生活の糧を求めて 毎日を暮ら す人も、変わらずに抱く人生の感慨が伝わってくる。
<年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆく なり>。
年暮狂歌と題する、これも西田の作。さらさらと止めど なく時は流れ ている。それは、なにも歳末に限らない。
今この瞬間を精いっぱい生きろ。そう背中を押してくれ る。
卓上四季より
//////////////////////////////////////////////////////////
西田氏は『善の研究』を書く直前の明治40年、次女と五 女を あいついで亡くしています。
さらに、大正7年から、西田氏にふたたび不幸が続き、 母の死、 長男の死、子供たちの病気、そして、妻の死が続きまし た。
彼は、人間が一生涯で、経験できないくらいの悲しみを 体験し、 心を深めております。
彼は、日本で唯一の世界が認める哲学者でもあり、禅を 西洋人に 理解してもらうために禅僧ではなく、哲学者になったので す。
=============================================== ======= 禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であっ て、それは 束縛からの自由への道を指し示す。
我々有限の存在は、常にこの世で様々の束縛に苦しんで いるが、 禅は、我々に生命の泉からじかに水を飲むことを教えて、 我々を 一切の束縛から解放する。或いは、禅は、我々一人一人に 備わって いる全ての力を解き放つのだということもできる。
この力は普通の状況では、押さえられ歪められて、充分 な働きを 発揮する道を見出し得ないでいる。
=============================================== =======
だから、心の奥の無限の境地に至りましょう!と、禅を 世界に勧めて いるのです。
西田幾多郎の生涯は「人生坐り込み」であり、畳に坐 り、思索に坐り、 板に坐り、書に坐り、悲哀に坐り、日本に坐り、壁に向 かって坐り、 直観に坐り、夜半に坐り、無に坐り、石に坐って、逆にも 坐った。
神は宇宙の外に居て宇宙を創造したり統制したりする存 在ではなく、 人間や自然の全ての中に宿り、宇宙に統一を与えている内 的存在で あるという宗教観であり、分析的思考よりも無意識をも包 含した深い 直覚を重んじる自我認識である。
難しい内容ですが、西田幾多郎氏は、神秘体験も、内 なる存在も 西洋の科学に照らし合わせて、学問の体系にしたのです。
ここでも、座る!という言葉が出てきましたが、彼は座 ることに よって自己の内面から答えが出てくることを身を持って教 えてくれ ているのです。
/////////////////////////////////////////////////////
然るに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統 一を以て 満足するものではない。
更に進んで一層大なる統一を求めねばならぬ。我々の大 なる自己は 他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を表 わし他人と 自己との一致統一を求むるようになる。
我々の他愛とはかくの如くして起ってくる超個人的統一 の要求 である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一 層大なる 平安と喜悦とを感ずるのである。
而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本 である。 我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限 の喜悦、 平安である。
善の研究より。
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我々の無限なる精神は決して、個人の統一だけでは満足 は しない。
さらに進んだ大いなる統一を求めなければならない。 我々の 大なる自己は、他人も自己も含まれたものであるから、他 人の事も 自分のことのように思い、一体化を計るようにするのだ。
我々の他を愛することはかくの如くして起ってくる超個 人的 統一の要求である。
故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大な る 平安と喜悦とを感ずるのである。
宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本であ る。 我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限 の 喜悦、平安である。
日本が誇る偉大な哲学者・西田幾多郎氏は、座してこの ような 考えに至ったのです。
私たちも、座して、心の奥の愛の根本、喜びの根本に至 りま せんか。
年末年始は、心を深める良い機会だと思います。
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皆さん、こんばんは。
2012年もあと数日となりました。
今年度最後のメルマガになります。
皆様のお蔭様で、今年も有意義な1年を過ごさせて 頂きました。
心から深く感謝しております。
さて、今年を振り返ってみると、意識が自分の中心から 離れているか、それとも、自分自身の深いところで繋が り、 中心に戻っているかで、人生が大きく左右していることを 感じました。
大切なのは、自分自身と深く繋がること。そこから自分 が 見えてきて、周りのこともはっきりと見えてくるのだとい う ことも感じています。
自分の内側ではなく、いつも外側に意識が向かっている と、 トラブルやアクシデントが頻繁に起きてきます。
自分自身と離れているから、自分の中心から離れている からエネルギーが弱くなり、マイマスの現象が起きるので す。
目の前に起こる現象に悩みながらも、すぐにあきらめて しまうのか、それとも解決策を求めて意識を深めるのか、 これが、シンクロや奇跡が起こる分岐点でもあります。
必死にその問題について考えたり意識を深めたりしてい る 時は、何事もなくて、意識をしなくなって忘れた頃に、 メッセージ や奇跡の現象が現れてくるものです。
来年は2013年 (13=とみ)富の年です。
無尽蔵の富も、無限の叡智も、自分の中にしかありませ ん。 外に働きかけるよりも、中に働きかけることが大切なので す。
来年も、外(ハズ)レよりも、中(アタ)りの年にして 下さいね。
2010年の年末に書いたメルマガの文章を掲載します。 =============================================== =========
さて、20世紀を代表する禅の思想家であり哲学者の 西田幾多郎氏のことが、道新の卓上四季に掲載されていま した。
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年暮れに(12月30日)
「善の研究」で知られる哲学者の西田幾多郎(1870~ 1945年)は、 多くの短歌や俳句を残している。それは学者の余技の域を 超える 量と深さを持っていた。
特に50歳からあとの歌には、<己の生を精いっぱい生き るため には、こう作らずにはいられぬ>という切実さがあった。 西田の孫で 教育 学者上田薫さんは、そう振り返る(「西田幾多郎歌 集」岩波文庫)
<死にし子の夢よりさめし東雲(しののめ)の窓ほの暗 くみぞれ するらし>。
第三高等学校卒業を直前に控えた長男を亡くしたのが、 知命(50歳) の年だった。
<妻も病み子ら亦(また)病みて我宿は夏草のみぞ生ひ 繁りぬる>。 その5年後、闘病を続けていた妻も失う。
不眠の夜もある。庭もただ荒れるままの日々-。生きて あることの 苦しみやつらさは、時代を画した哲学者にも例外なく訪れ た。
<われ未だ此(こ)の人生を恋ゆるらし死にたくもあり 死にたくもなし>。
悲しみに押しつぶされそうになっても、なお生きようと する自分がいる。
西田の歌からは、思索を生きる人も、生活の糧を求めて 毎日を暮ら す人も、変わらずに抱く人生の感慨が伝わってくる。
<年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆく なり>。
年暮狂歌と題する、これも西田の作。さらさらと止めど なく時は流れ ている。それは、なにも歳末に限らない。
今この瞬間を精いっぱい生きろ。そう背中を押してくれ る。
卓上四季より
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西田氏は『善の研究』を書く直前の明治40年、次女と五 女を あいついで亡くしています。
さらに、大正7年から、西田氏にふたたび不幸が続き、 母の死、 長男の死、子供たちの病気、そして、妻の死が続きまし た。
彼は、人間が一生涯で、経験できないくらいの悲しみを 体験し、 心を深めております。
彼は、日本で唯一の世界が認める哲学者でもあり、禅を 西洋人に 理解してもらうために禅僧ではなく、哲学者になったので す。
=============================================== ======= 禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であっ て、それは 束縛からの自由への道を指し示す。
我々有限の存在は、常にこの世で様々の束縛に苦しんで いるが、 禅は、我々に生命の泉からじかに水を飲むことを教えて、 我々を 一切の束縛から解放する。或いは、禅は、我々一人一人に 備わって いる全ての力を解き放つのだということもできる。
この力は普通の状況では、押さえられ歪められて、充分 な働きを 発揮する道を見出し得ないでいる。
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だから、心の奥の無限の境地に至りましょう!と、禅を 世界に勧めて いるのです。
西田幾多郎の生涯は「人生坐り込み」であり、畳に坐 り、思索に坐り、 板に坐り、書に坐り、悲哀に坐り、日本に坐り、壁に向 かって坐り、 直観に坐り、夜半に坐り、無に坐り、石に坐って、逆にも 坐った。
神は宇宙の外に居て宇宙を創造したり統制したりする存 在ではなく、 人間や自然の全ての中に宿り、宇宙に統一を与えている内 的存在で あるという宗教観であり、分析的思考よりも無意識をも包 含した深い 直覚を重んじる自我認識である。
難しい内容ですが、西田幾多郎氏は、神秘体験も、内 なる存在も 西洋の科学に照らし合わせて、学問の体系にしたのです。
ここでも、座る!という言葉が出てきましたが、彼は座 ることに よって自己の内面から答えが出てくることを身を持って教 えてくれ ているのです。
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然るに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統 一を以て 満足するものではない。
更に進んで一層大なる統一を求めねばならぬ。我々の大 なる自己は 他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を表 わし他人と 自己との一致統一を求むるようになる。
我々の他愛とはかくの如くして起ってくる超個人的統一 の要求 である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一 層大なる 平安と喜悦とを感ずるのである。
而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本 である。 我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限 の喜悦、 平安である。
善の研究より。
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我々の無限なる精神は決して、個人の統一だけでは満足 は しない。
さらに進んだ大いなる統一を求めなければならない。 我々の 大なる自己は、他人も自己も含まれたものであるから、他 人の事も 自分のことのように思い、一体化を計るようにするのだ。
我々の他を愛することはかくの如くして起ってくる超個 人的 統一の要求である。
故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大な る 平安と喜悦とを感ずるのである。
宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本であ る。 我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限 の 喜悦、平安である。
日本が誇る偉大な哲学者・西田幾多郎氏は、座してこの ような 考えに至ったのです。
私たちも、座して、心の奥の愛の根本、喜びの根本に至 りま せんか。
年末年始は、心を深める良い機会だと思います。