そこを実感するには、自我というものがなんなのかを
見抜いて、それが一時的にでもすーーと落ち着いた状態
それが経験として浮かび上がってこないことには
味わうことができないから、ほらあるでしょとならない
いまなにもする必要ないよと、そうなりたいですと人はいう
そのために何をすれば、方法はという
それをなくしたときが瞑想法、仏教でいわれている禅定というものを
監督しなさいといわれるところなわけです
禅定を知りなさい、自我が消えたときに禅定がある
学や才能がなくても関係ない
それは到達するのではなく、帰るところ
まずは自分がどれほどそういった状態にいるかを自覚するところから始めましょう
次にしくみをし知りましょう しくみというのは今言っていたとおり
苦悩は個人に浮かび上がってくるもの
個人というのは、因果関係の結びつきにおいてのみ刹那的に現れる現象ですよ
その現象というのは、その折り重なっていくものをひとつひとつみていく
最初に受けている刺激というのは、単なる刺激であって
目を開けていると光の情報であって、それがなんであるかというところまで
いっていない 耳からは言葉ではなく、音なんだ
ぼくたちはひとつひとつ入ってきた情報を、自動変換で瞬時に連想ゲームがはじまる
現象に引きずられていく
どんなささいな情報でも、一瞬で解釈して別なイメージに変換が起きているよね
そこにないものが展開されていく、頭の中に
そっちのほうが、現実感にもってきたり 事実と違うことが現実として浮かび上がっていって
事実誤認がすすんでいく
解釈してそこでジャッジになって、あれはいいことなのかわるいことなのか
となって、責められるべきだほめられるべきだになっていく
そういうのが一般的に信念だとか観念だとかになる
信念と観念が自分の世界観を作っているし
それが自分の世界の檻(おり)を作っていく
そこから自由になれていない窮屈さを生きていることを気づいていく
なので最初のうちは、いかに個人的な現実が浮かび上がっているかということを
まじまじと観察していく期間が必要
人それぞれの長さが必要だと思うんだけど
そこではっきりあってなれるのか、じわじわじわとっていくのか
これは実は僕も続いている