気づきの意識は、気づきの主体と気づかれる(観察される)ものたちとでふたつだが、
本当のわたしは、体や感情、思い(観察される方)ではなくて、
「気づきの意識ですよ」という
あなたは、体やマインドではなく、気づきの意識の方です
ほとんどの人は自分は、体やマインドだと思っている
覚醒体験した人は、気づきの意識(真我)のほうだったという
すべては、あまねく気づきの意識だったんだ
それがわかる
それでも気づきの意識と気づかれるものたち
ふたつがあるが、これをよーくみつめていくと
観察されるもの(客体)は、気づきの意識(主体)から
できていることがわかる
そうするとここでわかれたいたものが、気づきの意識から出てるんだ
ふたつではなかったとなる
般若心経的にいうと、
気つきの意識は「空」で、観察できるものは常に変化する「色」である
気づきの意識の方は、気づいているだけで変化しているかいないか
まったくわからない
現象は空からできているから、ふたつをわけることはできない
というわけで、ふたつではない
ノンヂュアリティ、アドバイターである