続きです。
「○○君の事を交流級の子どもたちに説明したい」
その意図について担任の先生に尋ねた所、
①みんなと同じ事は行えない事が多いけど、○○くんなりに頑張ってやっているので、みんなは応援して欲しい
②発作が起きた時のために、倒れてしまったり話ができなくなってしまう事があるかもしれないけど、もし見たら先生に知らせて欲しいと伝えておきたい
この2点を伝えたいという事でした。
え、、
まさか発作の話が出ると思っていなかった私でした。
入学前の連絡会の時から、日中の発作はないから「てんかん」や「発作」について他の子供達に伝える必要はないも思っています、と話していました。
ただ、薬の飲み忘れがあった時など大きな発作が起こらないとも限らない。そういった場合のために緊急時の対応について(救急車を呼んでもらうタイミングなど)お願いはしていましたが、それは万が一の時であって、今の発作が日中現れたとしても倒れないので周囲は気づかないだろうし気づかなくても構わない、と話していました。
学校は危機管理が大事なのでしょう。
そのため、どうしても最悪の事態があった時の対応について頭がいってしまうのかもしれません。
ですが、あたり前のように発作の説明をしようとしていた事には戸惑いを隠せませんでした。
そして、改めて
・発作やてんかんについてクラスメイトに周知して欲しくない
・日中倒れる発作は起きない。可能性はゼロではないが周知が必要なレベルではない。
・行動制限も運動強度の制限もない。
・周りから過度に心配されて過ごす事は、息子にとってプラスにならない。むしろマイナスになる。
とできるだけ言葉を選びながら話しました。
先生は、私の話を真剣な顔で聞いた後、
「考えが至らずに申し訳ありませんでした。」
と丁寧に頭を下げてくれました。
そうして、①の話題に戻り、先生の意向と私の意向に差異はない事を伝えました。
むしろ、「からかい」があったのでお願いしたいと思っていたと。
数人の子がちょっかいを出し始めた事は、やはり先生も感じていたそうです。
ただ、一年生の子どもたち、特に男の子は善悪の判断がまだあいまいな子もいる。そこも含めて注意深く見ていきたいと交流級の担任の先生とも話していたそうです。
その部分については、先生にお任せする事にしました。
ただ、私も毎日見守る中で気になった事があれば、また相談しようと思っています。
支援級の担任の先生は、いつも真っ直ぐに話を聞いてくださいます。
それだけでまず誠意を感じるし、とてもありがたい存在です。
この事も、受け止めてもらえたように思えました。この関係を大切にして過ごしていきたいと思います。
また、「障がい」や「病気」という言葉については敢えて使わないで欲しいと話しました。
まだ言葉の意味を勉強する前の子どもたちです。言葉だけ一人歩きしてもらいたくないと思いました。