不機嫌さを「引きずるか否か」の選択権は、まぎれもなくあなた自身が握っているんです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

地球の愛と光・本来の姿へ

本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

不機嫌さを「引きずるか否か」の選択権は、まぎれもなくあなた自身が握っているんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/3b0aac965c351d901c692b993bd0390b

(ここから)

「ウォーリーをさがせ!」

僕の好きな般若心経の一節に、こんなものがあります。

『遠離一切顚倒夢想』


遠離=遠く離れている

一切=すべての

顚倒=逆さまである

夢想=マインド(妄想や空想)


平たくすると、「すべての逆さまに捉えられたマインドから、遠く離れてみよう」みたいな感じです。

で、この「顚倒夢想(逆さまに捉えられたマインド)」の一つが、ここ最近お話している「気分」の問題でして。


『幸せ』という言葉から連想する状況は、人それぞれ違ったディテールがありますが、その奥にある思いは、きっと同じだと思います。

それは、「いい気分でいたい」や「機嫌良くありたい」というものではないでしょうか。

みんながいい気分でいれられたら、こんなに幸せなことはないものね。

なのですが、実際は多くの人が「いい気分ではいられない」「機嫌良くなんてなれない」という意識で生きています。

「Don't Worry, Be Happy!(くよくよせずにハッピーでいこうぜ!)」と言われたって、「だから、それができないから苦しいんじゃないのさ」っていうのが、大半の意見だと思うんですよ。

前回のエントリにも、匿名さんからこんなコメントを頂戴しました。


*****

気分は自分に返ってくる。まさにそうだと思います。

でもだからと言って、今現に味わっている不機嫌な気分は紛れもなくそこにあり、それを否定しても意味はありません。

今回のような記事を読むと、嫌な気分はダメ、はやく良い気分にならなくちゃ、常に良い気分でいなくちゃ、という強迫観念に陥りそうになります。

しかし私には自分の気分を都合よくコントロールすることはできません。

もちろん今回の記事が、気分をコントロールしようと言っているわけではないと理解していますし、引き寄せの真を言い当てていると私は思います。

でも、気分なんて結局はその人が育んできた思考や感覚の癖によるものだと思うし、それって簡単には矯正できるものではないと実感しています…。

なんだか自分の限界を痛感して凹んでしまいました…。

*****



匿名さん、正直なご感想、ありがとうございました。

そして、書き込みいただいた内容は、僕もまさにその通りだと思います。

今現に味わっている不機嫌な気分は紛れもなくそこにあるでしょうし、僕も、それ自体を否定する気はありません。

気分はその人が育んできた思考や感覚の癖によるものだと、僕もそう思うし、それって簡単には矯正できるものではないのかもしれません。

もし、10年ほど前の僕が前回のエントリを読んだとしたら、きっとあなたと同じような気持ちになっていたと思います。


でも、ですね。じつはあなたが今まさに抱えている、このような思いこそが、自我にとっての栄養源だったりするんです。

今回あなたからいただいたこのコメントは、素晴らしく示唆に富んだ内容なんです。


まずは、
『気分なんて結局はその人が育んできた思考や感覚の癖によるものだと思うし』の部分。

これが、まるっきり「自我」そのもののことで、ちょっと言葉を入れ替えると下記のようになるんです。

『その人が育んできた思考や感覚の癖が、その人(自我・アイデンティティ)を育んでいる』

つまりは、「その(不機嫌な)気分」こそが、その人(自我)のアイデンティテを保つ「餌」なわけで、これがあるから、自我はしっかりと肥えていくことができます。

だからこそ自我は、どんなに「Don't Worry, Be Happy!」なんて言われても、そう易々と不機嫌さを手放そうとは思えなくなるんですよね。



『しかし私には自分の気分を都合よくコントロールすることはできません。』

だとしたら、ですよ。あなた自身ではないのなら、あなた以外の誰が、あなたの気分をコントロールしているのでしょう?

そう、それが「自我」なんです。

そして日々自我はあなたにこう働きかけるんです。「ウォーリー(Worry)をさがせ!」と。

で、本家の「ウォーリー(Wally)をさがせ!」では、なかなかウォーリーが見つかりませんが、僕たちの生活の中でウォーリー(Worry)を探してみると、いとも簡単に見つかっちゃうんですよ。

もう、そこら中ウォーリーだらけ。





宗教的な教えや精神世界の中で、「思考(マインド)から離れること」「考えないこと」が、繰り返し薦められているのは、自我にこの餌を与えないためなんです。



出来事や状況に不幸があるわけではありません。

その出来事や状況を理由に不幸になろうとする自分がいるだけです。

その出来事や状況を餌に、存続しようとする自我があるだけです。

いまだ多くの人は、「出来事や状況に不幸(不機嫌)がある」という顚倒夢想の世界を抱えています。

「状況が気分を左右している」と思い、「気分が状況を左右している」とは思っていません。


たしかに、匿名さんが仰られるように、今現に味わっている不機嫌な気分は紛れもなくそこにあるでしょう。

しかし、その不機嫌さを「引きずるか否か」の選択権は、まぎれもなくあなた自身が握っているんです。

そして、あなたが選んだ選択は、誰にも邪魔することはできません。

僕たちには、「嫌な気持ちを引きずる自由」も「嫌な気持ちを手放す自由」もあります。

しかし、自我が人生の主導権を握っているとしたら、そう易々と餌を手放す選択はしないでしょう。

その場合は、匿名さんのご指摘通り、そう簡単には矯正できるものではないのかもしれません。


アセンションの時代と言われる今、ますます意識変容を経験した方々が増えています。

その方々は、ある日突然特別な能力が備わったのではありません。また、超人や聖人になったのでもありません。

ただシンプルに、「嫌な気持ちを引きずり続けるのが、嫌になっちゃった」だけなんです。

もちろん、嬉しいことも腹のたつこともあります。相変わらず気分の浮き沈みはあります。

でも、持て余すような不機嫌さは、以前のように長時間維持できないんです。

その結果、日々の生活の中でいい気分でいる時間が増え、それゆえに、状況がどんどん好転していくことを目の当たりにするようになり、その結果、いい気分が続き、それゆえに願わずとも叶うという生活が訪れ、その結果、感謝の気持ちがふくらみ……、と、そういう循環の中にいるという。


まずは、今すぐにでも「気持ちを切り替える工夫」をすることも可能ですし、僕や阿部敏郎さんみたいに、否が応でも「嫌な気持ちを引きずり続けるのが、嫌になっちゃう」ってぐらい徹底的に嫌な気持ちを引きずり続けることも可能なわけですが、いかがいたします?

(ここまで)

ありがとうございます
----------------------------

森林の中の光の撮影です。


引き寄せの法則、宇宙の法則

私の思いを含めたブログは「思考が現実になる、パラレルワールド」です。
よろしければ、ご覧下さい。