人間の意識レベルは、生まれ出た時から、時間の経過とともに「ワンネス」から「個」へ移行していきます | 地球の愛と光・本来の姿へ

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人間の意識レベルは、この世に生まれ出た時から、時間の経過とともに「ワンネス」から「個」へ移行していきます。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/dbf7d301368270adee99acf37280f974

(ここから)

「あるっちゃあるし、ないっちゃない」

いわずもがな、「木」としての視点と、「葉」としての視点では、自己認識が大きく異なります。

自分が「葉」として独立した命を保有しているとすれば、やはり「誕生」や「死」という概念があてはまっていきますが、これまでお話してきたとおり、命というのは、そういった存在の仕方ではないわけです。

このことの理解が共有できていないと、「輪廻転生」の話がうまく通じません。

だから、「生まれ変わりは、あるっちゃあるし、ないっちゃない」という、なんとも釈然としない答えになるんですね。


「輪廻転生(生まれ変わり)は本当にあるのですか?」といった類の質問は、「葉」の意識レベルで発生しています。

だから大抵の場合、いま現在の「私」という葉が、落葉後、また新たな一枚の葉として生まれ出ることがあるのか、といった前提で聞かれることが多いんです。

でも、木全体の成長を考えると、そういうことではないってこと、ご理解いただけますでしょうか。

新しい葉が生まれたり、散っていったりはしますけど、命はもとから木として、生じることもなく、滅することない。ただ脈々と生き続けている。

だから、「あるっちゃあるし、ないっちゃない」なんですね。

「生」と「死」という言葉のイメージから、命は二元論で考えられがちですが、実のところ、「生」の対になるものはなく、存在は「生」でしかいられません。

で、命は脈々と生き続けるしかないから、新たな葉が出でて、それが落ちて土に還り、また新たな養分として「木」に吸収され、その養分を元に新しい葉が生じてくるのですが、その葉はもう「あのときの私」とは言えないわけです。

「生まれ変わり(葉の生滅)」はある。でも、日常僕たちが感じている「(個としての)私」の人生は、一度きりです。


「じゃぁ、いわゆる『霊』とか『前世の記憶』とかって、あれ、なんなん?」ってことが疑問として浮かぶかたもいらっしゃるかもしれませんね。

これも結局「葉」としての意識レベルから発生している疑問なんです。

だって「私は個(葉)である。個として存在している」というこのことこそが錯覚なのですから、『霊』という個性も、『個人的な記憶』というのも、全部錯覚の延長でしかないんです。

いえ、僕は『霊や前世の記憶なんてものは、全部ウソだ』って言ってるわけじゃないんですよ。

僕たちが、いくら「あなたが感じている『私』という感覚は錯覚ですよ」と言われても、いっこうに錯覚だなんて思えない…と感じられるのと同様、ある視点から見た場合、そのように捉えられることがあるのも、また事実ですから。

これについての詳しい説明は、またちょっと違うアプローチが必要なので、いずれ機会がありましたらお話してみたいと思いますが、今日はこれに関連したちょっとしたお話を。


「この世(肉体あり・現象界)」と「あの世(肉体なし・潜象界)」での意識形態は、丁度真逆の状態にあります。

この世にいる我々人間が「悟りを開くとどうなるの?」という感じで、あちらでは「悟りを閉ざすとどうなるの?」となっている。

この世(現象界)にある意識は、分離された「個」としての性質をおび、「ワンネス(ホールネス)」の意識レベルを思い出したり、維持することが困難です。

一方、あの世(潜象界)にある意識は、「ワンネス(ホールネス)」としての性質をおび、「個」としての性質を維持することが困難になっていきます。

厳密には、ここに「時間」というものさしを当てはめるわけにはいかないのですが、仮に「時間」があるものだと仮定して話を進めると、こんな感じになります。

僕たち人間の意識レベルは、この世(現象界)に生まれ出た時から、時間の経過とともに「ワンネス」から「個」へ移行していきます。

これは、成長とともに自我を纏い、「悟りを閉ざす」流れです。

そして、肉体としての生涯を終え、あの世(潜象界)に生まれ出ると、(「個としての自分」を定義づける大きな要因の一つである「肉体」を失ったため)時間の経過とともに「個」は融解し、「ワンネス」の意識へと統合されていきます。

その時「記憶」は残ります。が、それはもう「個人の記憶」ではないんです。

「個人の記憶」から、「記憶」が消えるのではなく、「個人の」が消えるんです。

「葉」の経験は、そのまま「木」の経験として吸収され、いわゆる「アカシックレコード」に格納されます。

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。


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