自分を責めない、蔑まない、いじめない。自分に対して、ハートを閉ざすエネルギーを弱めていきましょう | 地球の愛と光・本来の姿へ

地球の愛と光・本来の姿へ

本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

自分を責めない、蔑まない、いじめない。自分に対して向けている、ハートを閉ざすエネルギーを弱めていきましょう。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/050730b40c854b3b482d27abc79aae93

(ここから)

「内と外」

『ハートを開く』

このなんとも掴み切れない曖昧な感じですが、このことを僕なりにちょろちょろアウトプットしてみたいと思います。


ハートが開くと、「内と外の統合」が始まります。

簡単に言うと「内と外」の区別がなくなっていくんですね。

Σ( ̄Д ̄;)ハッ! 「なんだ、内面と外界ってのは、対照的なものじゃなくて、一つの同じものじゃないか!」

ということが、感覚的に理解できるようになるんです。

すると、いわゆる「世界は自分の意識(心)の投影」という言葉の意味がストンと腑に落ちるんです。

「意識が世界を作る」という言葉だと、何となく意識という「スタート(原因)」と、世界という「ゴール(結果)」が感じられてしまいますが、どちらかと言えば「原因と結果」という因果関係というよりも、『意識も世界もひと続き(意識=世界)』という感覚なんです。


*****

精神世界ではよく、「内面」と「外界」という言葉が対照的な意味合いで使われる。

では、その「内と外」を分けるボーダーは、どこに、どのように存在してるだろう。

明確な境が見いだせないのであれば、「内と外」という分離もまた、解けてゆく。

(ツイートより)

*****



以前お話したことのある、「クラインの壺」って覚えてますか?

クラインの壺は、表と裏が区別できない「メビウスの帯」の発展系みたいなもので、「メビウスの帯」が2次元のテープ状のものをひねり、表をたどっていくとそのまま裏に行き着くようにしたのに対し、「クラインの壺」は3次元のチューブをひねり内部をたどるってるうちに、いつの間にか外部に行き着いちゃうという、内側と外側の区別が付かなくなっちゃうという構造。


(c)Rest Term.
※リンク先の「draw」ボタンを押すと、ムービーがご覧いただけます。


こんな感じで、自分の内面奥深くをずーーーっと進んでいくと、いつの間にか「宇宙」に出てしまい、外界を突き詰めて追求していくと、内面に行き着いてしまうんです。

で、「ハート」はちょうど、この「本来は繋がっている通路」の間に存在する門のようなもので、ある種の『エネルギーの捻れ(ねじれ)』によって、「内部と外界」を擬似的に分けて見せる役割をもっているんです。



上記の矢印で指したあたりにね、「エネルギーの捻れ」があると思ってください。

このポイントが、丁度僕たちの胸あたりに重なるようなイメージです。

で、その捻れは、開いたり閉じたりします。

僕の中では、なんとなくこんな感じの印象。

  ↓




こういうゲート(エネルギーの捻れ)が、存在している。


どうでしょう、イメージできます?


------------------
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/2b5124c0771248da52be18872f75475f

「開閉」

ハートにあるこのエネルギーのゲートは、本来開閉できるものなのですが、これまでの人間の意識状態では、閉じている場合がほとんどです。

と、言いますのも、『恐れ・不満・不安・緊張・不信感・怒り・傲慢・罪悪感・劣等感・差別・軽蔑』など、僕たちが日常の中で持ちやすいこれらのエネルギーによって、このハートのゲートが閉ざされてしまうからです。

他と分離されて存在する「私」を守る(保持する)為の防衛反応が、そのまま「心の壁」となってハートを閉ざす原因となってしまいます。

ハートが閉ざされた状態では、表層的なやり取り「コミュニケーション」は可能でも、心を通じたやり取り「コミュニオン」が不可能になります。

このガード状態(威嚇状態)は、一時的に防衛できているような気持ちになりはしますが、本質的な解決には至りません。


僕たちは本来一つの同じ存在であり、本能的にはその記憶を持ち合わせているため、無意識的に「ひとつに帰る」ということを望んでいます。

「ひとつに帰る」とは、心と心が通じた信頼関係が築かれている状態のことです。

その最もたる理解が、「あなたは私。私はあなた」というワンネス(隔たりのない)の感覚です。

それはまさに、ハートが開いている状態において実現されるものです。


潜在的に求めているのに、恐れがあるがゆえに実現されない「心が開かれている」という状態。

それが実現されない状態が長引くと、孤独感や閉塞感は増し、さらに壁は厚くなってしまいがちとなり、閉鎖的でエネルギーの流れが停滞してしまう悪循環にはまり込んでしまいます。

ガード(防衛反応)が強くなるのに比例して、自他の隔たりが強くなり、ハートを通じた交流が出来なくなります。


親子や兄弟間、また、友人や恋人の間、職場や学校、ご近所付き合いなど、身近なところで目にする小さな“いざこざ”から、国際問題や戦争などの大きな争いに至るまで、ありとあらゆる闘争の原因は、突き詰めていくとただ一つ。

「心の壁(ハートが閉ざされている状態)」があることによって生まれる「わかり合えない」というものです。

だからこそ、これらの状況を根本的に解決する術は、互いのハートを開くほかありません。


ハートを開くのは単に、それを閉ざしていた時のエネルギー(恐れ・不満・不安・不信感・怒り・傲慢・罪悪感・劣等感・差別・軽蔑)が、なくなればいいだけの話です。

その、ハートを閉ざすエネルギーの不在が、「愛」と呼ばれる意識状態です。

人は、この状態においてのみ、ハートを開くことができます。(というより、上記の閉鎖エネルギーさえなければ、ハートは勝手に開きます。)


『安心・満足・ワクワク・リラックス・信頼感・感謝・尊敬』など、これらのエネルギーは、上記の心を閉ざすエネルギーの不在(転換)によって発露されます。

つまり、閉ざされた心の壁の向こう側で待機している状態。

ゲートが開かない限り、出てくることができません。

だからほら、「怒り(前者のエネルギー)」と「リラックス(後者のエネルギー)」は、同時に持つことはできないでしょ?

前者のエネルギーがないときに、後者のエネルギーが現れてくるわけです。


とにもかくにも、僕たちを導く空のエネルギーの流れを信頼し、ハートが開かれている状態が実現できると、瞬く間にその創造エネルギーは、瞬く間に現実を作り替えていきます。

どんな人でも、どんな状況ででも、人生は、その時点から立て直すことが可能となります。


恐れ・不満・不安・不信感・怒り・傲慢・罪悪感・劣等感・差別・軽蔑……

そういった「心を閉ざす」意識状態から遠ざかるには、ある種の覚悟や勇気が必要です。

だって、それまで頑なに「自分を守ってくれる」と信じ切っていた防衛反応を手放すことになるのですから。


なので。

まずは「外界」との関わりの中ではなく、「自分自身」に対してのガードを下ろすことから始めてみることをオススメします。

外に対してではなく、自分に対して向けている、ハートを閉ざすエネルギーを弱めていきましょう。

自分を責めない、蔑まない、いじめない。

そして、自分のハート(ゲート)が緩やかに開かれていくことを意識してみましょう。





現実の書き換え。

最初の一歩は、自分に一番近い、自分自身から。

(ここまで)

ありがとうございます
----------------------------

森林の中の光の撮影です。

 

引き寄せの法則、宇宙の法則

私の思いを含めたブログは「思考が現実になる、パラレルワールド」です。
よろしければ、ご覧下さい。