ワンネス(すべては一つ)、私はアナタ、アナタは私。の仕組み。自我が消失すれば、真我を発見できる。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

『ワンネス(すべては一つ)』、『私はアナタ。アナタは私。』の仕組み。自我が消失すれば、真我を発見できる。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/7e7942fea546b3eac3cc55447db43c47

(ここから)

「真我という錯覚.2」

アナタという存在の本質は、何者でもありません。

それが真実です。

その真実を認めようとせず、「個」というパーソナリティー・アイデンティティを確立したがるのが「自我(エゴ)」です。

必死に「何者かになろう」と、その方法を模索し「存在全体からの分離」を望むのが自我の最大特性。

ですが、元々が「何者でもない存在」なのですから、どうあがいても「何者か」になることはできません。

この不可能なことにチャレンジし続ける「空回り」こそが、釈迦の言う「ドゥッカ(苦)」や、イエスが説く「原罪(的外れ)」です。

何者かになろうと頑張れば頑張るほど自我(エゴ)が拡大し、自らを、また、周囲を苦しめる結果となります。


自我は、「自分(個性・アイデンティティ)」を存続させておく為なら、どんなことでもします。

どんな手を使ってでも「個」でありつづけようとします。

決して「全体(何者でもない、存在本来の姿)」へ溶け込もうとはしません。

なぜなら、全体へ溶け込み「個」でなくなるということが、「自我の死(消滅)」を意味するからです。

自分が幻想であることに気付いていない幻想が、夢から覚めることを恐れているのです。


『真我がある』という錯覚は、そんな自我が生き残りをかけたサバイバル作戦の一つです。





では、上記を踏まえて先日の文章と模式図を確認してみてください。

「アナタという存在の本質は完全・完璧なものです。アナタはアナタのままでいいのです。

ですから、他の何者かになろうなんて、エゴを肥大化させる様な努力は必要ないのです。

さぁ、ありのままの状態(真我)を発見しましょう。

アナタがこれまで苦しんできたのは、また、なにかしらの不満を抱えていたのは、その人生に何かが欠けていたからではありません。

幻想の自分(固定化した思考)に飲み込まれ、本来の完全性を発揮出来ていなかったからなのです。

アナタが幻想の自分から離れ、ありのままの状態であるために精神修行が必要となるのです。

“必要となる”と言っても、それは物質や新たな知識を得ることではありません。完全性を妨げるモノを手放していくことなんです。」




文章自体は真実を指し示していますが、模式図はこの文章を歪曲して解釈した「自我目線での模式図」です。


「自我が消失すれば、真我を発見できる。」

このことを、自我(思考)は自らの生き残りを賭けて、次のようにアウトプットしました。




「自分の内側奥深くには、わたし本来の光り輝く“真我”という姿がある。」


これなら、自我が消えてもなお「光り輝く個性」、つまり「真我」という名の「何か」を残すことができるからです。

つまり、自我は「個」の消失を避けるため、「真我」に何らかの「定義」を持たせ、そこに「個としての性質(自我)」を継承させました。


この「何か」のことを人は「魂」と呼んでみたり、「霊」と言ってみたり、「心」と名付けてみたり、「意識体」などと解釈したりします。

どんな名称であれ、そこに「定義づけ」を行い「個としての性質」を維持させようとするのです。

「個」である以上、これは「真我」ではなく「真我のふりをした自我」なんです。


このトリックに気付けないある人は、このように嘯(うそぶ)きます。

「この“光り輝く個性”の寄り集まりが“神”である。」


そんなのは大嘘です。神でもなんでもありません。

「光り輝く個性」などと自らを美化し、自分を神だと勘違いしている自己陶酔型エゴの塊です。

いまだ「個」に執着し続けている自我の姿です。


しつこいようですが、存在そのものは、何者でもないのです。


それを図にするとこうなります。





このエゴの中、「自」と「他」を分ける厚い壁の内側にあるのは…






















からっぽ。


「空(から)」、つまり「空(くう)」です。


自我(エゴ)という名の壁がなくなった時、壁の内にあった「空間(本当の自分)」と、壁の外にあった「空間(大いなる存在)」が一つとなり、存在本来の姿(全体)となるのです。

その時、“幻想の自分”の内側深くにあったもの、および“幻想の自分”を包みこんでいたあらゆるものこそが、本当の自分であったことに気付き、自分が“全て”であることを知ります。

“自分”が、自我(幻想・思考)から真我(空間・宇宙)へ逆転する瞬間です。


精神世界で『ワンネス(すべては一つ)』とか『私はアナタ。アナタは私。』と語られるのは、こういう仕組みがあるからです。

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。


引き寄せの法則、宇宙の法則

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