自分で決めた事じゃないから、「当たり前」と言われるあれこれが、「決め事」であることに気づけない。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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自分で決めた事じゃないから、「当たり前」と言われるあれこれが、「決め事」であることに気づけない。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/48332c7db5ebc9783c6bd872ef56d85f

(ここから)

「主観」

遅まきながらようやく夏季休暇を取得することができ、ボクらのクラブのリーダーであらせられるところの、三木さんと愉快な仲間達(浦安在住)に会ってきました。

そんなワケで、充電どころか、すっかり漏電気味で帰ってきた黒斎です。

体力の衰えを感じつつ、ただいま~!


さて、ここからはタイトルも「死後の世界」から離れ、お話の展開を「預流果(よるか)」に向けて方向転換していきたいと思います。


先日の「国家」「日本」のお話はご理解いただけましたでしょうか?

よく言われることですが、実際には「国境」は実在しません。それがあるのは、人間の頭の中だけ(つまりは幻想)です。

これに代表されるように、僕たちは、日々、実際には無いモノをあることとして生活しています。

「国境」だけではなく、突き詰めて考えていくと、「時間」や「物質」なども、同じように「決め事」なんです。

「決め事」を「決め事」として自覚出来ていればまだいいですが、多くの人は、この「便宜上定めた決め事」を「真実」と錯覚して生きているんです。


それでは、その「錯覚」がどこから生まれて仕舞ったのかを考えてみましょう。


その理由は大きく2つ。

その1。

その「決め事」が、物心付く前から「決め事」だったから。


そうなんです。その「決め事」は、自分で決めたことではないんです。

物心付く前からあったルールに、どっぷり浸かってしまっているんです。

自分で決めた事じゃないから、「当たり前」と言われるあれこれが、「決め事」であることに気づけない。


でも、中にはその「当たり前」と呼ばれることが「ただの決め事」と気づいてしまう人も現れます。

「あれ?僕はどうして“鈴木”という名前なのだろう?」とか、「なんで日本人なんだろう?」とか、自分の存在を表すとされるあれこれが、全て「便宜上のもの」と不意に気づいてしまうことがあります。

このことに気づくのは、「当たり前」にどっぷり浸かってしまう前の、子供の方が多いかもしれません。(このブログをご覧の方々の中にも、こんな経験をお持ちの方も少なくないと思います。)

しかしながら、パパやママに「どうして僕は鈴木なの?」とか「どうして日本人なの?」と聞いても、錯覚の世界に生きているパパやママには答えられません。

その質問の意味が、正確に理解できていないのです。

僕は、自分の存在の根源の事を聞きたかったのに、「なにバカなこと言ってるの。アナタはパパとママの間に生まれて来たから鈴木なのよ。日本に生まれたから日本人なのよ。」と、サッパリ見当違いの返答をされてしまいます。

なんせ、パパやママはそれを正確に理解できていないにも関わらず、「当たり前」としてしまっているのですから。

でも。

この疑問は哲学的な思考で理解することが可能です。

「ワンネス(本来は一つ)」という概念が理解できれば、「頭」で理解出来る範囲です。

問題は、もう一つの理由。



錯覚が生まれる理由その2。

物事を感じる「主観」があるから。


いくら「ワンネス」を頭で理解できていても、この「主観」があるがゆえ、「私」の呪縛から離れることができません。

目に見えるから。触れられるから。匂いを感じるから。音が聞こえるから。味を感じるから。色々と考え事をしている自分がいるから。

私たち人間は、これらの「主観」によって「自分」と「その他」を切り分けて捉えます。

私は私、その他はその他。

この主観によって「私」が独立して存在しているように感じられるから、他のモノも全て独立して存在している様に錯覚してしまうんです。


でも、皆さんはこう仰るでしょう。


「実際には“私”は存在しない」といくら言われてもサッパリ意味がわかりません。

だって、「私」という「主観」は、確実にあるのですから。

視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚・意思、これだけの数だけ「私」の存在をシッカリ感じる要素があるのだから、疑いようがない。

この「主観」は、決して「錯覚」などではない!


なのですが…

この「主観」が、あらゆる錯覚を生み出す張本人なんです。


で…

この「主観」が消え失せる、という経験が「預流果(よるか)」です。

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。

 

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