「現実」は『いま目の前に「事実として」→「解釈として」現れているもののこと』に置き換わっている。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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「現実」は、『いま目の前に「事実として」→「解釈として」現れているもののこと』に置き換わっているんです。


転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/04ba5fd1a97c4e702e808971e5723cbe

(ここから)

現実



さて、昨年末、上記の画像を貼り付けていたんですが、覚えておられます?

危うく貼った僕が忘れそうになってましたけど。


僕たちが「人生」と呼んでいるものは『徼(解釈・概念)』の世界に展開されています。


「人生を振り返る」となれば、童謡『思い出のアルバム』のごとく

いつのことだか? 思い出してごらん? あんなこと? こんなこと? あったでしょう?♪

と「記憶の集積を振り返る」ことになります。


この「記憶の集積」、はたまた、さまざまな「概念」を前提に見いだされている世界が『徼』の世界です。

だから、『徼』の世界は、めちゃめちゃ個人的。

人の数だけ『徼』があります。

そして、多くの場合、この「徼」の世界が「現実」として感じられています。


一方、『妙』の世界は「事象そのもの」。

いわゆる「あるがまま」の世界で、そこにはまだ概念も解釈も張り付いていません。


僕たちは、目の前に展開されている事象を、「何が起きているのか?」と把握しますが、

この「何」が付け加えられず、「ただ起きている」のが『妙』の世界です。

人生の「素(もと)」となりますが、そこにはまだ「ストーリー」がありません。

「いい」も「悪い」もなく、「あれ」でも「これ」でもない、素(す)の世界。


何が起きているのか?

何々が起きている。


その『何々』が「解釈」であり「概念」。徼の世界を形づくるものです。



「現実」という言葉の意味を紐解くと、

『いま目の前に事実として現れているもののこと』と出てきます。

ところが、この「現実」がいつの間にか(自動的に)

『いま目の前に解釈として現れているもののこと』に置き換わっているんです。

前者の「現実」と、後者の「現実」は、根源的には同じでありながら、似て非なるもの。

(ここまで)

ありがとうございます
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