「現実」は、『いま目の前に「事実として」→「解釈として」現れているもののこと』に置き換わっているんです。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
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(ここから)
現実
さて、昨年末、上記の画像を貼り付けていたんですが、覚えておられます?
危うく貼った僕が忘れそうになってましたけど。
僕たちが「人生」と呼んでいるものは『徼(解釈・概念)』の世界に展開されています。
「人生を振り返る」となれば、童謡『思い出のアルバム』のごとく
いつのことだか? 思い出してごらん? あんなこと? こんなこと? あったでしょう?♪
と「記憶の集積を振り返る」ことになります。
この「記憶の集積」、はたまた、さまざまな「概念」を前提に見いだされている世界が『徼』の世界です。
だから、『徼』の世界は、めちゃめちゃ個人的。
人の数だけ『徼』があります。
そして、多くの場合、この「徼」の世界が「現実」として感じられています。
一方、『妙』の世界は「事象そのもの」。
いわゆる「あるがまま」の世界で、そこにはまだ概念も解釈も張り付いていません。
僕たちは、目の前に展開されている事象を、「何が起きているのか?」と把握しますが、
この「何」が付け加えられず、「ただ起きている」のが『妙』の世界です。
人生の「素(もと)」となりますが、そこにはまだ「ストーリー」がありません。
「いい」も「悪い」もなく、「あれ」でも「これ」でもない、素(す)の世界。
何が起きているのか?
何々が起きている。
その『何々』が「解釈」であり「概念」。徼の世界を形づくるものです。
「現実」という言葉の意味を紐解くと、
『いま目の前に事実として現れているもののこと』と出てきます。
ところが、この「現実」がいつの間にか(自動的に)
『いま目の前に解釈として現れているもののこと』に置き換わっているんです。
前者の「現実」と、後者の「現実」は、根源的には同じでありながら、似て非なるもの。
(ここまで)
ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。
引き寄せの法則、宇宙の法則
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