事象そのものが「現実」として捉えられているわけではなく、「思考」が「現実化」しているんです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
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事象そのものが「現実」として捉えられているわけではなく、「マインド」、つまりは「思考」が「現実化」しているんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/30d4a6143e378221b45e3ed17bdefd72

(ここから)

「オートフォーカス」

今日はこのお話を続ける前に、まずはこの「オートフォーカス」がどう機能しているかを実感してみましょう。

そして、「オート」を「マニュアル」に切り替える、そのコツを掴んでみましょう。


これから、ある2枚の写真をご紹介します。

ずいぶん前からSNS等でも拡散しているので、ご存じの方も多々いらっしゃるとは思いますが、お付き合いください。


さて、この二つの写真。

「オートフォーカス」では、何が捉えられますか?

そして、「マニュアル」に切り替えて観察することで、何が見えてきますか?

2つの写真にある、ちょっとした不自然さに、気づけますか?






答えは↓

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マインドが創る「色」の世界

https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/e73d1b0655a680704d64418dd4314e6b

さて、先週ご紹介した2枚の写真。

「ちょっとした不自然さ」に気づけましたか?

今日は早速ネタバレから。




まずはこちらの写真。

この写真における「ちょっとした不自然さ」は、比較的男性は気づきづらく、女性は気づきやすい、という傾向があるそうです。

わっかりやすいよね?。男はついついおっぱいに目が行っちゃうからな(笑)

まさにオートフォーカスですよ。

で、「ちょっとした不自然さ」の答えは、画面右側。

なぜかゴリラがおるんです。

最初っから「写真の中にゴリラを探せ!」って言われてたら、パッと見つかりそうなもんですよね。

でも、なかなか気づけなかったりする。




でもってこちら。

人の思い込み(「先入観」や「当たり前」といってもいいかも)は、ついつい無いものも補完して「あるもの」として捉えてしまいます。

ということで。

答えは、「女性3名が腰かけている(ように見える)ベンチの座面がない」でした。

特に向かって左の女性。すっげー脚力ですね(笑)


ということで。

ちょっとしたお遊びを挟んでみましたが、「自分が捉えた範囲が、自分の現実を創る」ということが、幾ばくかは伝わりましたでしょうか?

このほか、以前ご紹介した、「言葉の自動補完」。


こんちには みさなん おんげき ですか?
わしたは げんき です
このぶんょしう は にんげん は もじ を
にしんき する とき
その さしいょ と さいご の もじ さえ
あってれいば ちゃんと よめる という
イリギス の ケブンリッジ だがいく の
けゅきんう けっか に もといづて います



↑これね。


こういう風に、僕たちは「事象そのもの」ではなく、「マインド」の機構を通して「自動補完された世界」を捉えています。

よくよく「“そのもの”を観察してみよう」としてみれば浮かび上がってくるものも、日常の中ではスルーされ、「自動補完されたもの」が「現実」として感じられています。

事象そのものが「現実」として捉えられているわけではなく、「マインド」、つまりは「思考」が「現実化」しているんです。


それを、図にしてみるとこんな感じ。




事象そのものが同じでも、マインドを通した「捉え方」には無限の可能性があります。




精神世界において、「世界は、あなたの心の投影」や「鏡の法則」などと説明されるのは、このことです。


で、この「物事の捉え方」っていうのは、大抵の場合「いつの間にか」形成されています。

「なぜそう捉えたのか」と尋ねられても、うまく理由を説明できません。

もちろん、その要因の一部を考えることは可能です。

でも、それで全てが説明できるかといえば、やっぱり無理があります。

この、「無自覚のうちに、いつの間にか形成されたオートフォーカス機構」。

また、これを形成するシステム全般。

はたまた、このオートフォーカス機構を通して生まれる行為。


これを『カルマ(業)』と呼びます。

だから、人生は「自業自得」。

自らが抱える業が、自らが得る世界を作り出しています。


なのでもし、この「マインド」の中が別な中身になったとしたら?

あるいは、この「マインド」の中が空っぽになったとしたら?




そう、たとえ事象・状況が同じであれ、「いま見えている現実」とは、まったく別物として映るはずです。

(ここまで)

ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。

引き寄せの法則、宇宙の法則

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