物事・出来事に対して深刻になればなるほど「焦点」の範囲が狭まり、他の可能性が見えなくなっていきます。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/30d4a6143e378221b45e3ed17bdefd72
(ここから)
「オートフォーカス」
僕たち人間のほとんどは、自分が捉えた世界を「現実」として認識しています。
逆に言えば、自分が捉えられていないものは、「現実」として浮かび上がりようがありません。
とっても当たり前の話だけど、このことこそが、人生を、幸にも不幸にもしてしまう基点なんです。
「物事」「出来事」を、どのように受け取るかは、人それぞれ違います。
たとえ同じ環境に身を置いていたとしても、そこで感じる「現実」は、捉える人の「意識」(あるいは「意識が向いている先にあるもの」)によって変化してしまうんですね。
この「意識」という言葉を、今日は「フォーカス(焦点)」という言葉に置き換えてお話してみます。
カメラを思い出してみてください。
何かを撮影しようとするとき、人はその撮影対象にフォーカス(焦点)を合わせます。
そして、撮影された写真には、「ピントが合っている部分」と「ピントが合っていない部分」が現れます。
ピントが合っている部分は、はっきりクッキリ捉えることができます。
ピントが合っていない部分は、ボケボケで、場合によっては、何が写っているのかもわかりません。
僕たち一人ひとりが捉えている「現実」も、これと同じようなものなのですが、僕たちは往々にして、このことを忘れてしまいがちです。
よりわかりやすくするため、ちょっとPanasonicさんの力をお借りします。
「同じ状況下に居ながらも、人それぞれで捉えられている世界が違う」ということが、明確にご理解いただけるかと思います。
「わたし」がピントを合わせている世界と、他者がピントを合わせている世界が、必ずしも一致しているとは限りません。
また、焦点が同じでも、人それぞれの「その時の気分」によってフィルターが掛かり、印象が異なっているかもしれません。
さて、大事なのはここから。
僕たちの「現実」に対する「ピント合わせ」が、大抵の場合「オートフォーカス」状態になっている、ということです。
で、『自我』ってのが、この「オートフォーカス機能」を担ってる。
もって生まれた気質や受けてきた教育環境、大切にしている信念や周りから強制されるルールなどなどが折り重なって、徐々に「フォーカス」が限定されていきます。
確かに便利なんですよね、オートフォーカスって。
スムーズだし、効率的だし。
でも、ずっとオートフォーカスで生きていると、当然ながら「現実」の見え方が限定的になっていきます。
他のところにピントを合わせる可能性が狭まります。
特に、物事・出来事に対して深刻になればなるほど「焦点」の範囲が狭まり、他の可能性が見えなくなっていきます。
そんでもって、「うつ」はいわば、「オートフォーカス」機能のスイッチを、「マニュアル」に切り替えできなくなっているような状態。
それは、とても窮屈で深刻な、セピアがかった限定的な世界観に閉じ込められているような感じです。
(ここまで)
ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。
引き寄せの法則、宇宙の法則
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