「何をインストールすれば幸せになれるのか」と、同じ罠に嵌まり、方々を探し回っていたわけです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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「何をインストールすれば幸せになれるのか」と、同じ罠に嵌まり、方々を探し回っていたわけです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/5ddb26cb4ba791612869b63b60d45983

(ここから)

インストールで空回り.2

前回のコメント欄に、素敵な書き込みをいただきました。

YUさんから頂いたコメントです。



*****

>問題はその先ですよ(・ω・)/
> 一体どうやって捨てるのか。

これが、まさに【フリーズ】しているんじゃないでしょうか…?
「! 【捨て方アプリ】が見つかりません。
WEBで検索しますか?
いいえ はい」
ってな感じで…。
前、黒斎さんは言ってました、「考えるな、感じろ」と。
それと「私は犬のウ○コを掴んでいる、と気づいた時に、いちいち捨て方、手の離し方を考えますか?反射的に手を離すでしょう。」と(笑)

私は未だ悟れぬ者で恐縮ですが、PCにとってアプリケーションを使用してる状態って、私達が思考してる状態と同じですよね。
考えるな、感じろ。というならば、【アプリケーションを使うな】に相当するのではないでしょうか。

つまりは、【捨て方】アプリなんて要らないのではないでしょうか。
でも既に【捨て方アプリを探す】アプリまでもをインストール済みの人は、
「捨て方アプリが見つかりません。
WEBで検索しますか?
はい はい はい はい はい はい はい はい …」
と、なっているのかもしれませんよ。

>師匠がやっている(もしくはやってきた)具体策(ワークや瞑想法?その他諸々)を教えて下さい☆
> ※僕はもう充分すぎるほど色々やってたんでこれ以上必要ありませんが、
>もし師匠のやり方が良ソッコーでインストールします(笑)

これをPC語に訳すと、
「【黒斎式真理】をインストールしますか?
容量に空きがありませんが、【黒斎式真理】をインストールする為に要らないデータを削除する事も出来ます。

はい キャンセル 」

の様に見えるのです。

捨て方のhow toアプリをインストールする前に、ゴミ箱に要らないものをドラッグするだけでいいのかもしれません。

差し出がましいようですが、孫悟空さんが充分すぎるほど色々やってきたと称されるものを、まずは使わないというのはどうでしょう?

黒斎さんが言いたいのは、捨て方をインストールしなさい、って事じゃないのでは。
【私たちはゴミ箱アプリを持っていて、本来使い方を知っているのだから、もう使い方アプリを探すのはやめて、要らないものを捨てていきましょう】
って事なんじゃないでしょうか。

*****



面白い例えをありがとうございました。

ホントにそうなんですよね。


様々な情報をインストールしていくことが良しとされる社会で育ってきた僕たちは、すっかり「インストール」そのものがクセになっちゃていて。

「要らないものを捨てようね」って言われても、「アンインストール アプリ」を探してきてインストールしようとしてしまうんですよね。

そんなこんなの末に

柔軟性に固執して、

自由を叫ぶことで不自由になって、

満足のために我慢して、

平和のために争って、

視野を広げよという教えに盲目的にしがみつく。


一体我々は、何をしているんでしょう?(笑)



皆さんご存じの通り、かつての僕は、宗教にも精神世界にも全く関心がありませんでした。

むしろ、どこか気持ち悪く思っていたんですね。


でもそのことを、よくよく思い返してみると、僕が違和感を感じていたものは、宗教や精神世界で語られている内容そのものではなかったんです。

だって、そこにどんな教えがあるのかさえも知らなかったんですから。

じゃあ、どうして気持ち悪さを感じていたのだろう?ってことを改めて考えてみると、それは「そこに傾倒する人たちに見える、隠しきれないアンバランスさ」だったわけです。

そういった方々に共通して見られた傾向は、

1.生真面目(重々しい雰囲気)

2.精神的潔癖症(正しいもの、キレイなもの、聖なるもの、清らかなものしか受け付けない)

3.物事を複雑に考えるのが好き(「人一倍難しいことが理解できている自分」という優越感)

4.視野が狭い(柔軟性がない)

5.押しつけがましい(頼んでもいない所にわざわざ話しにやってくる)

6.何かの犠牲になっている

7.なにかにつけ必死

などなど。

と、まぁ、上記に挙げた傾向は、僕にも多々当てはまるところがあるのですが、それでもなお、それがさらに過剰となっている方と関わると、なにかと面倒くさいことになりそうな気配があったわけです(笑)

特に、宗教や精神世界に救いを求め、色々勉強してしまったばっかりに、沢山のデータを抱えてしまった人の表情や存在感が、とても「重く」感じられました。

反面、「そんなの関係ねー!」と、オーシャン・パシフィック・ピースで生きている方の方がよほど軽快に人生を楽しんで見えたりする。

その人ににじみ出る表情はどこか、保有するデータ量と比例しているように思えます。


で、「インストールをすればするほど良し」を信条として生きている方々から見れば、なんのアプリも入れようとしていないにも関わらず、軽々と人生を謳歌している人は、どこか癪なわけです。

「てめー、もっと苦労しろよ(より高度なアプリやデータをインストールしろ。そして、人様の役に立て)」と、そうなる。

でも、空き容量が有り余ってる軽快派の方々からは、逆に「どんなに凄いアプリ入れてたって、全然動けてねーじゃんw」と見えているわけで。

「『幸せな人生を送るために、アレコレ勉強しなさい』と勉強を押しつける当の大人たちが、全然幸せそうに見えない」という、僕たちが子供の頃に気づいていたあの違和感が、そのまま露わになっているんですね。

そこまで感じていたにも関わらず、やはりかつての僕も、「何をインストールすれば幸せになれるのか」と、同じ罠に嵌まり、方々を探し回っていたわけです。


で、そんな罠に気づき、沢山のデータを捨てて数年が経ちました。

僕が経験したそのことを全国各地でお話させてもらえるようになり、沢山の方々とお会いして実感したこと。

それは、精神世界との「関わり方」によって、結果がまるで異なってしまう、ということです。

皮肉なことに、とても真剣に「学ぼう」とされている方の方が、大事なところが見えていない場合が多いんです。

僕の話から某かを「学ぼう」とされている方々は、ライブ会場に入った時からもう「インストール体制万全」なんですね。

一生懸命「言葉(データ)」を持ち帰ろうとしている。

でも、それが仇になっちゃうんです。


僕がこのブログやライブで提供したいことは、それとは全く逆でしてね。

情報を取り入れてもらいたいのではなく、逆に、色んなデータを捨てて、心を軽くして帰って頂きたいと思っているワケです。


でも、そうとは言え、「データを捨てる」というのは、自分ではなかなか出来ないんですね。

だって、「自分にとってとても大切」だと思っているからこそ、そのデータを保有し続けているわけですから。


そこで役に立つのが、「ウロコポーロ」というものなのです。

僕がアナタの鱗を落としてあげることはできません。

が、僕の話が切っ掛けとなって、鱗が落ちることはあります。

ここ、微妙ですが、大切なポイントです。

「ウロコポーロ」をインストールしようとしないでくださいね(笑)


そこらへんのことを踏まえていただけますと、これまでのお話、また、これからのお話がよりご理解いいただけるかと思います。

「学ぶ」という感じではなく、もっと肩の力の抜けた姿勢でお付き合い頂けたら幸いです。


注;

宗教や精神世界との付き合い方には、「インストール」と「アンインストール」という真逆のベクトルが存在します。

もちろん、空き容量に余裕がある方に対しては、本当に有効に使えるデータも沢山存在しますから、「インストール」そのものを悪者にするわけにはいきません。

でも、この現代社会の中で疲弊している方のほとんどは、「データ量過剰」傾向にあります。

そのことを前提にしておりますので、僕のお話は「データを捨てる」という趣旨の内容に偏りがちです。

データを大切に保管しておきたい方にとっては、とても聞き入れられない内容ですので、お取り扱いには十分ご注意ください。

(ここまで)

ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。

 

 

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