指摘や反省は、本来自分自身に向けて活用するツールであり、他者に強要するものではない。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

地球の愛と光・本来の姿へ

本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

指摘や反省は、本来自分自身に向けて活用するツールであり、他者に強要するものではない。


転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/e6f64164a5104e7b5dd1126f10e48ee7

(ここから)

指摘

理想論や精神論ではなく、一人の人間としての素直な気持ちでお話したいと思います。


『指摘』というのは、「する側」と「される側」で、まるで表情の異なるものです。


何が一番違うかと言うと、多分、その行為の中にある「気持ちよさ」じゃないでしょうか。

する側にも、される側にも様々な解釈がありますが、まぁ、「される側」にとっては、あまり気持ちのいいものとは言えないですよね。

その指摘が事実か否かは問題ではないんです。

相手の勘違いで事実無根の指摘をされるのは気持ちのいいものではありません。

そして、その指摘が「図星」なら、なおのこと気持ちいいものではありません(笑)

そうではありませんか?

どっちにせよ、気持ちのいいものではないんです。

もちろん中には「いえ、あらゆるご指摘は私を成長へ導く大切な道しるべですから、感謝とともに頂戴いたします」なんて方もいらっしゃるでしょうけども、それにしたって、それが「気持ちいいのか」って言ったら、よくはないわけで。ねぇ。


で、「する側」ってのは、けっこう気分がいいんですよ。

「アナタのために」という言葉が、本当の気持ちであれ、優越感を得る為の隠れ蓑であれ、どっちにしろ、気持ちがいい。

これって、素直な気持ちで自分を振り返ってみれば、誰もが感じられることだと思います。


それは『指摘』という構造の中に、少なからずの上下関係を感じてしまうから。


指摘する側が正しく(私が善で)、指摘される側が間違い(あなたが悪)。

指摘する側が利口で(私の方がより知っていて)、指摘される側が無知(あなたはバカ)。

指摘するのは優しさで、指摘されたなら、その優しさに感謝すべき。

私があなたに合わせるのではない、あなたが私に合わせるべき。


自我には「自己防衛(反転して、優越性の保持)」という基本プログラムがありますから、そんな構造が見えるやいなや、過敏に自動反応してしまうわけです。「指摘される側」なら、なおのこと。

指摘される側の自我が強ければ強いほど、それは「怒り」や「抵抗」など、「拒否反応」として現れることになります。

言いがかりでも、正論でも、どちらもノーサンキューです。

ただの「指摘」でさえそうなのですから、そこに「高圧」や「強要」などの態度、「怒り」などの感情、攻撃性、そういったものが加わって見える場合は余計に「拒否反応(防衛反応)」が強まります。

「指摘する側」が、相手に改善を求めてたとしても、「指摘される側」は「お前のいいなりになってたまるか」という反応となり、望まない結果を導くことになります。


つまり、大切なポイントはここです。

「相手が求めていない場においての『指摘』は、まるで役に立たない(むしろ逆効果)」

そしてそれは、反転させて、こう言い直すこともできます。

「指摘や反省は、本来自分自身に向けて活用するツールであり、他者に強要するものではない」


これは、コメント欄でたびたび話題になる「投影」や、また「感謝」などについても同様です。

これらは自分自身のためのものであり、相手に強要するためのものではありません。

自分の自動反応(カルマプログラム)に気づく為の一手段であり、他者をコントロールするためのものではありません。


このポイントがわかると、そこではじめて『指摘』における健全な関係性が見えてきます。

『指摘』という行為の中で必要になるのは、「上下関係」ではなく「信頼関係」です。

先ほど話したとおり、『指摘』という構造の中にあるものは、そもそも気持ちいいものではありません。

それを覚悟・了承の上、あえて「指摘を受けよう」となった時に、はじめて活用できるものです。

だからこそ、信頼関係がないところに、本来の『指摘』が機能するはずがないのです。


だから僕は、これまで一貫して「聞きたい人だけ聞いてください」というスタンスを守ってきました。

聞きたくない人、興味の無い人を引き留めるつもりはありませんし、また、僕がわざわざ聞きたくない人のところに出向いて、自分の考えを押しつけるつもりもありません。

むしろ、「話が核心に近づくにつれ、アナタが聞きたくない話になっていきますよ」という警告を要所要所でしてきたつもりです。


このブログは、精神性の高さを披露し合う場ではありません。また、精神性の低さを罵倒する場でもありません。

これまでも、これからも、このブログで僕が展開するのは、ある種の『指摘』と、その『指摘』の活用方法の提示です。

その提示が正しいものか、また、アナタに適しているかどうかの確証もありません。

そしてまた、一貫したポリシーもありません。


(ここまで)

ありがとうございます。
----------------------------

森林の中の光の撮影です。

引き寄せの法則、宇宙の法則

私の思いを含めたブログは「思考が現実になる、パラレルワールド」です。
よろしければ、ご覧下さい。