『人生の全責任は自分にある』。目の前にある事物に、どのような意味や価値を見出しているか。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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『人生の全責任は自分にある』。人生の意味を決めるのは自分。目の前にある事物に、どのような意味や価値を見出しているか。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/b2cc642469518f19ff48ad90ce21088e

(ここから)

自己責任


(  ̄Д ̄) 『人生の全責任は自分にある』


そんな話をすると、「じゃあ何か、私の関与していないところで起こっているアレも、コレも、それらも全部私のせいだとでも言うのか」といった声が寄せられたりすることがあるのですが、上記の言葉で指したいことは、そういう意味ではありません。

「何が起こるか」は、自我から離れた次元の働きとして動きます。

ですので、「わたし(自我)が起こした」ということではないわけです。(自分が起こしたと思えるものも、実は「全体意識」によって発動された結果でしかありません。)

以前お話したように、自我には創造エネルギーがないからです。

ですから、「何が起こるか」は、「わたし」以上に「神」の責任でもあるわけです。


しかしながら、「人生の責任」となると、ちょっと違います。

その「人生」を「人生」とたらしめているのでは「神」の意識ではなく、「自我」の側の意識だからです。


目の前にある事物に、どのような意味や価値を見出しているか。

それが、自我の側の責任です。


目の前にある事物には、本来、意味も価値もありません。

(自覚の有無を問わず)目の前にある事物に、どんな意味や価値を与えているか。

どのような解釈プログラムが動いているのか。

自分が個人的に保有している「解釈癖・認識癖」、それが「カルマ」です。


自分の人生の意味を決めるのは自分(自我)。価値を決めるのも自分(自我)。目的を見出すのも(自我)です。

『人生の全責任は自分にある』とは、そういう意味でのお話です。

(ここまで)

ありがとうございます。
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