問題は「自然」な状態をすっかり忘れ、「不自然」な状態を「健全」だと思い込んでいることなんです。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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問題は、「自然」な状態をすっかり忘れ、「不自然」な状態を「健全」だと思い込んでいるということなんです。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/c35df15156510d09e2fc5e78ff52e630

(ここから)

自我と真我

コメント欄をご覧の皆様はすでにご承知かとは思いますが、inuさんから、とある質問がありました。



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>自己欺瞞をすべて落とした状態のことを「あるがまま」とか「いまここ」って言うんです。
もし、「戦争」をテーマにその違いをお話するなら、それに対する「反戦運動」と「平和運動」の違いがそれです。
「いまここ」や「あるがまま」の意味を理解できている人ならば「平和運動」を行うでしょう。
理解できていなければ、「反戦運動」となるでしょう。


これは数日前のあるコメントに対する雲黒斎さんのレスですが、上記について詳しく解説してもらえないでしょうか?

私も分かったような分からんような そんな感じです

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コレに対し、沢山の方がコメントを寄せてくれました。

そこには沢山の真実があり、「うんうん、そう言うことだと思います!」というモノが沢山ありました。

現に、そこで新たな気付きを得た方も多かったと思います。


しかしながら、inuさんの疑問は、もっと根源的なものだったようです。


それが、コチラのコメントでわかりました。



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そもそも自己欺瞞を落とすことが「あるがまま」という意味が捉え切れてないのです

*****



うん。ごもっともだと思います。

その意味を、明確に捉えられているとしたら、それはすでに目覚めている証拠です。

そこに気付いていたからこそ、inuさんは途中から人が変わったかのように、挑発的な口調で「知った風なことを語るな!(わかったつもりになることで、理解の可能性を失う)」という旨の発言をしたのでしょう。(これも僕の勝手な思い込みかもしれませんけどね。)

もし、これが僕の思い込みではなく、inuさんの真意にかなっているのだとしたら、その主張はごもっともだと思いますし、確かに「精神世界ブーム」に対しての大切な警鐘だと思います。(もちろん、だからとはいえ、挑発的な態度や口調が適切だとは思いませんが…)

でも、今回の流れを客観的に観察していた方の中には、まさにその中で「反戦運動」と「平和運動」の違いを明確に捉える事が出来た方もいらっしゃると思います。

そういった意味でも、皆様から寄せられたコメントの数々は、大変貴重なものとなりました。改めて、皆様に御礼申し上げます。


で。

この流れに乗って、僕は僕なりに「反戦運動」と「平和運動」の違いについてお話したいと思います。

そのためにまず、その理解の柱となる「自我」と「真我」について、改めて説明してみます。


この流れでキーとなるフレーズは

『自己欺瞞を落とすと「あるがまま」になる』

です。

まずはここからスタートしましょう。


上記のフレーズに込めたニュアンスを別な言葉で入れ替えてみます。

『劣等感を落とすと「愛」になる』

『強がりを落とすと「素直」になる』

『嘘を落とすと「真実」になる』

『偽物を落とすと「本物」になる』

『曇り(濁り)を落とすと「クリア」になる』

『欠乏感を落とすと「感謝」になる』

『余分なものを落とすと「適切」になる』

『不必要なものを落とすと「必要」になる』

『詰まりを落とすと「流れ」になる』

『分離意識を落とすと「全てはひとつ」になる』

『時空間という幻想を落とすと「いまここ」になる』

『自我を落とすと「真我」になる』



上記、全て言葉は違いますが、言いたいことは一緒なんです。


「あるがまま」というのは、僕たちが「自分」だと思っている「偽りのアイデンティティ」で隠れてしまった、僕たち本来の自然な姿のことです。

問題は、この「自然」な状態をすっかり忘れ、「不自然」な状態を「健全」だと思い込んでいるということなんです。

それは、泥酔しているにも関わらず、「自分は酔っていない。仮に酔っているとしても、シラフ時と何ら変わりはない」と主張している酔っぱらいと同じようなモノです。

このことを、お釈迦様は「無明」といい、エックハルト・トールさんは「機能不全」と表現しました。

このブログでお話した、以前の表現に置き換えると、

『自己欺瞞(酔い)を落とすと「あるがまま(シラフ)」になる』です。


どうでしょう。通じますかね?

(ここまで)

ありがとうございます。
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