「世界の全ては自分、全ては一つ」「全ての生命は私」ひとつの「命」を“共有”して存在しているんです。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
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(ここから)
マトリックス.19
【chapter.20/予言者に会いに~chapter.22/選択とクッキー】
「ドーザー。通信可能域まで上昇だ。侵入するぞ。ネオを彼女に会わせる。」
「彼女?」
「予言者さ。」
さあ。いよいよプンプンに臭うシーンに突入ですよ。
「ご搭乗の皆様、“シートベルト 禁煙”のサインです。では快適な空の旅をお楽しみください。」
ジリリリリリリン…ジリリリリリリン…ジリリリリリリン…
マトリックスに侵入したメンバー達は一路、予言者「オラクル」の元へ。
【oracle(オラクル)】の意味は、そのものズバリ「神託・神のお告げ」。
ですが、このキャラクターは様々な暗喩に満ちていて、一言ではまとめきれません。
そのシーンによって、意味合いがかなり変わってしまうんです。
まずはこのオラクルが待つマンションの一室。
そのキッチンの入り口上には「汝自身を知れ」と書かれたプレートが掲げられています。
このことから、この場所は古代ギリシャの「デルポイのアポロン神殿」を、そしてオラクルはデルポイ最初の巫女「フェモノエ」のメタファーと考えられます。
さて。
この「汝自身を知れ」という古代ギリシャの格言。
この一言に込められた意味はとても深く、その哲学的かつスピリチュアル的な内容は、現代を生きる私たちにとっても非常に重要になるメッセージです。
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「汝自身を知れ」。これは聖なる預言が授けられたデルフォイのアポロ神殿の入り口に掲げられていた言葉だ。古代ギリシャの人々は、自分にはどんな運命が用意されているのか、状況がその後どのように展開するのかを知りたくて、預言を聞きに神殿を訪れていた。その訪問者のほとんどが神殿に入るときこの言葉を読んだだろうが、これがどんな預言よりも深い真実を指し示していることには気付かなかったのではないか。またどれほど偉大な啓示があり、与えられた情報がどれほど正確であっても、結局はそんなものは無益であって、「汝自身を知れ」という命令に隠された真実を見出さない限り、さらなる不幸や自業自得の苦しみから救われはしないことも知らなかっただろう。この言葉が語っているのは、こういうことである。質問をする前にまず、お前の人生における最も基本的な問題を問わねばならぬ。私は何者か、と。
(エックハルト・トール著「ニュー・アース」203ページより引用)
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マトリックス.20
【chapter.20/予言者に会いに~chapter.22/選択とクッキー】 vol.2 スプーン・ボーイ
本日は、オラクルの元に集まっている子供達のなかの一人、スプーン曲げをしている男の子とネオの、この会話にスポットを当ててみようと思います。
男の子が使っていたスプーンを手に取り、同じようにスプーン曲げにチャレンジしようとするネオ。
そんなネオに、男の子はこんな事を伝えます。
「曲げようと思ったら曲がらないよ。そうじゃなくて真実を見ようとしなきゃ。」
「真実?」
「スプーンはないんだ。」
「ない?」
「曲がるのはスプーンじゃなくて、自分自身だよ。」
そのアドバイスのあと、ネオは見事スプーン曲げに成功します。
ほんの数分のシーンですが、この短い会話に含まれている意味の膨大さは説明してもしきれないほどです。
さて、どこからお話しましょうか…。
まずはここから。
「曲げようと思ったら曲がらないよ。」
これは、このブログの書き出しの頃にお話した、「望みを叶える方法」のことを指した一言です。
引き寄せの法則など、精神世界に詳しい方なら、何度も目にした事があるでしょう。
「望みは、追い求めると逃げる」という、あの法則のことです。
それに対し、この男の子はこんなアドバイスを残しています。
「そうじゃなくて真実を見ようとしなきゃ。」
その真実とは何かと尋ねるネオに、男の子は驚くべき返答をします。
「スプーンはないんだ。曲がるのはスプーンじゃなくて、自分自身だよ。」
この一言の奥にある意味は、「世界の全ては自分、つまり、全ては一つ」というものです。
先日、沖縄での講演会の時にこんなお話をさせていただきました。
「私の命」ではなく、本当は「私が命」。
以前お話した『預流果』という経験は、変な聞こえ方になるかもしれませんが、「自分が生命であることを思い出す体験」なんです。
アナタは、ご自身が「生命体」であるという自覚があるでしょうか?
こんな質問を投げかけられると、「当たり前じゃないか、人間だもの。」なんて軽く返してしまいがちですが、今日はこのことをよく考えてみましょう。
自分が生命であることをシッカリと自覚しているとしたら、それは「自分は死なない」と言う究極の真実を知っているということです。
つまり、こういうことです。
人は普通、個人個人に個別の命があり、死とともに命が消えると思っています。
例えば、このブログを書いている僕、黒斎の命があって、それを読んでいるアナタにはアナタの命がある。そんな風に考えています。
でも、それは大きな勘違いなんです。
僕の命があるとしたら、話のつじつまが合わないんです。
「僕の命」だとしたら、「命」を所有している「僕」が別なところにいるということになってしまいます。
生命ではない何かが、何か(この場合は“生命”)を所有しているということになってしまいます。
ね? 変でしょ?
だから、「私の命」でなくて、「私が命」なんです。
裏返せば、「命が私」です。
さて、「命が私」であるということは、「全ては一つ」ということになります。
だって、僕も、アナタも、ゴミを荒らしているカラスも、カエルだってオケラだって、みんなみんな生きているんですもの。
「生命=私」なら、「全ての生命は私」です。
僕たちは、バラバラの個性を持った別々なものと思い込んでいますが、実は「存在」という一つの「生命」なんです。
ひとつの「命」を“共有”して存在しているんです。
通じてますかね?
(ここまで)
ありがとうございます。
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森林の中の光の撮影です。
引き寄せの法則、宇宙の法則
私の思いを含めたブログは「思考が現実になる、パラレルワールド」です。
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