“気付く”において大切になるのが、「考えること」ではなく「感じること」。考えている自分に気付く。 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
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https://dreamgo.sakura.ne.jp/20110311/

“気付く”において大切になるのが、「考えること」ではなく「感じること」。考えている自分に気付く。

転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/5f063fd9ff99022eb51972e208440ed6

(ここから)

マトリックス.12

【chapter.14/訓練の開始】


ネブカドネザル号のクルーの一人、“タンク”がネオに握手を求めながら自己紹介をします。

「操作係のタンクだ。」

そのタンクの身体には「プラグ」が見あたりません。

「君にプラグは…?」

「付いてないよ。俺も兄貴のドーザーも人間から生まれた純生の人間。正真正銘ザイオンの子さ。」



生まれながらに「マトリックス」に繋がれていない“ザイオンの子”。

このブログをご覧の皆さんは結構マニアックだったりするから分かるかな?

これ、いわゆる「インディゴ・チルドレン」のメタファーだと思います。


「インディゴ・チルドレン」とは、今までの概念では説明できない行動パターンを示す、常識では計れない心理特性を持った子供達。(「インディゴ」の他、「クリスタル」や「レインボー」など、オーラカラーに基づいた名称で分けられて語られる場合もあります。)

その行動パターンにはユニークな共通要素(常識や既存の社会システムなどに囚われない精神的特質)があり、両親や教師などといった身近な人々が、彼らの扱い方や育て方に戸惑ってしまうということが、20世紀後半(1970年代以降)から現れだしたというお話です。

まぁ、簡単に言えば、「価値基準の根底が違っちゃっていて、なかなか世の中に馴染めない、周りとはチョット違う子」といった感じでしょうか。



【参考:インディゴの子供達に共通する10の特徴(by Doreen Virtue)】

1.インディゴは尊厳を漂わせながらこの世に生まれてくる(多くの場合、生まれた後もそのように振舞う。)

2.彼らには「自分は存在するべくして存在している」という気持ちがあり、他人にそれを理解されないと、気が動転してしまう。

3.自己評価には重きをおかない。彼らはよく親に「自分は誰なのか」を語る。

4.絶対的な(説明や選択の余地を与えない)権威を受け入れない。

5.特定のことをあっさりと否定する。例えば並んで待つ事は、彼らには難しい。

6.創造的思考を必要としない儀式的なシステムには、欲求不満を募らせる。

7.家庭でも学校でも、物事のよりよいやり方を見つけ出すので、「システム・バスター」(いかなるシステムにも従わないもの)のように思われてしまう。

8.インディゴの仲間と一緒にいるとき以外は、非社交的であるようだ。自分に似たような意識のものが周囲に誰もいないと、しばしば内向的になり、誰からも理解してもらえないと感じる。そういう子供達にとって、学校生活は非常に難しくなる。

9.罪悪感を持たせるようなしつけ方、例えば「そんなことをして、お父さんが帰ってきたら怒られるわよ」といったような説教をしても効果がない。

10.自分が必要とすることは臆することなく伝える。



彼らは最初から“リアルな世界”で生きているので(成長の過程で“マトリックス”に取り込まれることがなかったので)、“幻想の中で生きている人々”の世界観や価値観とのズレがあるんです。

夢の中に生きている人は、その世界を“絶対”であると錯覚してしまっているので、間違っているのはインディゴの方であると決めつけてしまいます。

さて、そんな彼らの役目は、人類の目覚めを手助けすること。

夢遊病者の世界に生まれた“覚醒児”たちにとっては、生きること自体が大変なことです。

その行動は、一般的な目線で捉えると、常識や既存の社会システムに反抗するように見えることがあるでしょう。

「心地よい眠りを妨げるな!」そんな怒りを向けられることもあるでしょう。


世の“常識人”から見ると大変迷惑で反抗的な存在である彼らは、「目覚め」を意識した人々に対しては、その対応が一変。

あたたかく好意的な眼差しで相手の素質を素早く見抜き、活き活きとした表情で才能の開花を手伝います。


「早速訓練を始めよう。まず船の操作からだが…退屈だからポイ。もっと面白いヤツにして…戦闘訓練にしよう。」


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マトリックス.13

http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/35e15b19e13a413713b0a8751e07df64

あのー…。

先のことを考えず、勢いで書き始めてしまったこの連載。

キリがなさそうに思うのですが、一体いつまで続くんですか?(←書いてる本人が読者の声を代弁してみる)


【chapter.15/モーフィアス対ネオ】


各種の格闘技プログラムをサクサクと習得したネオ。

「カンフー習得。」

「見せてみろ。」


モーフィアスとネオのガチンコ対決の始まりです。

「我々は今、実践プログラムの中にいる。重力や基本原則は同じ。コンピューターの原則と同じだと思え。無視することも破ることも出来る。いいな?では。私を倒してみろ。」

o( `_´)ノ" クイクイ  Щ(`д´Щ) !!

o( `_´)乂(`д´ )o アチョーーーッ!!



さて、ここで。

「なんで突然カンフーなん?」ってことですよ。


このシーンは、世に言う「悟後の修行」を表現したものと解釈できると思います。

以前「四向四果(預流果)」のご紹介で書いた通り、「アンプラグ(預流果)」を通して自我と真我の違いを理解したからと言っても、それですぐに全ての煩悩から解放されるワケではありません。

自分が抱えている色々な執着(物質だけに限らず自我が作り出した自己イメージなども含む)や、ネガティブな思考パターン(自己憐憫や不平不満、創造性を妨げる否定的思考など)の一つ一つに“気付き”、手放していくごとに「解放」の度合いが深まっていくんです。

その“気付く”ということにおいて大切になるのが、「考えること」ではなく「感じること」なんです。

自分の「思考パターンに気付く」ということは、「自分の考えていることに気付く」ということですから、「考えているうちは気付けない」ということなんです。

回りくどい話なんですけど、これ、通じてますかね?

「考えている自分に気付く」ということは、「思考から離れ、思考を観察している自分がいる」、つまり「考えている者」を観察できる「気付いている(感じている)者」という新たなパーソナリティが生まれているということなんです。

また、別な捉え方をすると、日々「無意識に発動している思考パターン」に気付く、ということですから、「無意識を意識する」ということ。

東洋には、そのことを大切に受け継ぐ文化が残っています。

その一つが「武道」や「柔術」、「カンフー」なんですね。

格闘技ではないですけど、「カンフー」に通じる「太極拳」なんかはまさに「ヴィパッサナー」そのもの。

また、日本でもおおよそ「道」の付く文化は、このことに通じています。


で、この後のセリフに通じるワケです。


「いいぞ。順応も早いし独創性もある。だが、弱点は技とは別にある。なぜやられた?」

「速すぎる」

「考えてみろ。仮想現実の世界で強さやスピードの原因が筋力にあると思うか?」

ヾ(-_-;)  ハァ、ハァ

「それは本物の息か?」

Σ( ̄Д ̄;)

o( `_´)ノ" クイクイ 「もう一度」

o( `_´)乂(`д´ )o ウリャーーーーッ!!

「何をしている?もっと速いはずだぞ。速く動こうと考えるな、速いと知れ。考えるな。無心で打て。」

( `_´) ○=(`д´○ ヒュッ!!

「意味がわかったよ。」

「心を解き放つんだ。入り口までは案内するが、扉は君自身で開けろ。」






ちょっとだけ、セリフの単語を入れ替えてみましょうか。


『悟ろうと考えるな、悟っていると知れ。』

(ここまで)

ありがとうございます。
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