状況に応じた対応が出来る「あり方」が重要なんです。何者かに「なろう」とするところに過ちが生まれます。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/46ddf6c657ddb4367a4137b04901d951
(ここから)
「正精進」
( ゜ д゜) 「“正精進(しょうしょうじん)”、いよいよこれが最後の項目ですね。」
( ゜ ー゜) 「これは“正しい努力”のことでしたね。」
( ̄д ̄ ) 『はい。これまでお話してきた事を努力していきましょうと言うことです。』
( ゜ ゝ゜) 「やっぱり努力が必要なんですね…。」
( ̄д ̄ ) 『そりゃそうですよ。なぜそんな事を?』
( ゜ ゝ゜) 「いえ、先日ブッダも仰っていたじゃないですか。“もうちょっと”という欲が、苦しみを生むのだと。そのお話を聞いてから、正直わからなくなっていたのです。“努力”もある意味では、自分に対する“もうちょっと”という思いじゃないですか。だから、何かに努力するということも、やはり苦悩の原因になってしまうのではないかと…。」
( ̄д ̄ ) 『なるほど。』
( ゜ ω゜) 「うんうん、確かにマハーナーマンの言うとおりだ。ブッダ、教えてください。自分の人格を向上させようという“努力”は“欲”ではないのですか?」
( ̄д ̄ ) 『「もっと良い人間になろう」という思いは「欲」です。「もっと良い人間であろう」という思いは「精進(しょうじん)」です。この違い、わかりますか?』
(;゜ д゜) 「微妙な違いですね。」
( ̄д ̄ ) 『もちろん「努力が必要」とは言っても、なんでもかんでも頑張れば良いという話ではないんです。何を行うにも、目的に適った適切な努力でなければ、望んだ結果は生まれません。そこに「思い通りにならない」という、不満・苦しみが生まれます。』
( ゜ ー゜) 「適切な努力ですか…」
( ̄д ̄ ) 『物事・現象が成り立つ因果関係(仏教では「因縁」と言います)。それが理解できていないから、努力の方向を間違ってしまうんです。「精進」は自分の人間性を高めるための正しい原因を指します。それは、自分が今持っている悪いところを消す努力、いけないことはしないという努力、自分の良いところをのばす努力、人のためになることを積極的に行う努力。これら4つの努力が「精進」です。ですから、これらも「何々をしなさい、何々をしてはいけません」という具体的な行動を指し示すモノではありません。やはり、その場その時の状況に応じた対応が出来る「あり方」が重要なんです。その「あり方」を知らずして、何者かに「なろう」とするところに過ちが生まれます。「結果」を夢見ていても、そうなるための「原因」が見えていないからです。正しい原因のないところに、正しい結果は生まれません。』
(;゜ ∀゜) 「わかったような、わからんような…。」
( ̄д ̄ ) 『では、例え話で説明しましょう。お酒が原因で身体を壊してしまった人がいたとします。この人が、健康を取り戻したいと思った時、努力すべきはお酒を断つことです。お酒が好きであれば好きであるほど、お酒を断つことに、大変な努力が必要になります。時にそれは、その人にとって「苦しみ」とも感じられるでしょう。ですが、これは本当の苦しみではありません。本当の苦しみは、お酒を毒と知らずに呑み続け、なお身体を壊し続けてしまうことなんです。ですから、「いかに二日酔いしないような飲み方が出来るか」や、「周囲にばれないように呑み続ける方法の模索」などという“渇愛”に基づく努力は「精進」ではありません。「お酒を呑まずにいよう」という心の持ち方が「精進」なんです。』
( ゜ ゝ゜) 「なるほど…。」
( ̄д ̄ ) 『物事を注意深く観察すると、必ず「原因と結果」という繋がりが見えてきます。いまある現象には、必ずそうなるための原因があるんです。諸行無常の法則と因縁の法則が理解出来ていれば、無駄な努力に苦しむことはなくなります。』
(;゜ д゜) 「無駄な努力ってなんです?」
( ̄д ̄ ) 『どんなに頑張ろうと、結果に繋がらない努力です。もし、火を起こすために、一生懸命「火よ現れよ~、火よ現れよ~」って、呪文を唱えている人がいたとしたらどう思います?』
( ゜ ー゜) 「アホですね。」
( ̄д ̄ ) 『ですよね。そんなことをしても、火が現れないということは、自然の法則に沿っていないとわかっているから、「アホじゃないか」と言えるわけです。そんな努力は無駄だと。でも人間は、それと同じ過ちを、日々繰り返しているんです。』
(;゜ ゝ゜) 「マジッすか。」
( ̄д ̄ ) 『マジッすよ。例えば…。人間は誰しも老います。それをいつまでも若いままで、年を取らないようにと努力しても、それは自然法則に沿っていないわけですよ。』
(;゜д゜)(;゜ー゜)(;゜ゝ゜)(;゜∀゜)(;゜ω゜) あ…
( ̄д ̄ ) 『例えば…。人間は誰しも死にます。それを死なないように、生き続けられるようにと努力しても無駄なわけです。どんなに頑張っても、いずれ死にます。』
(;゜д゜)(;゜ー゜)(;゜ゝ゜)(;゜∀゜)(;゜ω゜) たしかに…
( ̄д ̄ ) 『自然法則に沿っていないのにも関わらず、「若さ」や「長寿」に価値を置くから苦しみが生まれているんです。その価値を、価値としているのは自分自身です。自分のあり方が変わらないかぎり、この苦しみから逃れることはできません。ですから、若くあり続けよう、長生きをしようという努力は「精進」ではありません。「渇愛」です。』
(;゜д゜)(;゜ー゜)(;゜ゝ゜)(;゜∀゜)(;゜ω゜) なるほどなぁ…
( ̄д ̄ ) 『正見・正念・正定・正思惟・正語・正業・正命。それを継続していくことで、自ずと思考がクリアになり、欲と精進の違いが明確に理解出来るようになるでしょう。』
(`д´)ゝ(`-´)ゝ(`ム´)ゝ(`∀´)ゝ(`ω´)ゞ はいっ!精進しますっ!
…
こうしてブッダは、鹿野苑にて、サトレンジャーの面々に「中道」「苦集滅道」「八正道」を説きました。
その教えに従い、日々黙々と修行に励んだサトレンジャーは…
なんということでしょう!(声:加藤みどり)
ブッダの言葉通り、全員あれよあれよという間に悟りを開く事ができたのです。
(ここまで)
ありがとうございます。
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