完璧だけど不完全 | 地球の愛と光・本来の姿へ

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本来、人生を楽しむために生まれてきました。
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恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
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完璧だけど不完全

「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」から

元記事
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/f63f5aa02481ee09b9318e02923da305

(ここから)
「精神世界」や「宗教」と呼ばれるモノで語られてる内容が何かとわかりづらかったり、偏見の眼差しで捉えられることになっている理由の一つが、『矛盾』なのだと思います。

聞けば聞くほど、そこに『矛盾』が生まれていく。それが、なんとも理解しがたい。


精神世界に詳しい自称スピリチュアリストのAさんはこう言います。

「アナタはそのままで完全・完璧な存在です。アナタはアナタのままでいいのです。ですから、他の何者かになろうなんて、そんな努力は必要ないのです。さぁ、ありのままのアナタを受け入れましょう。それこそが、幸福への道です。」


仏教やキリスト教などに詳しい自称宗教家のBさんはこう言います。

「人間は、不完全な生き物です。釈迦はそれを“苦”と表現し、イエスは“原罪”と表現しました。人間は不完全ゆえ、放っておくと不幸になっていくのです。不完全ゆえ、世界はこんなに多くの問題を抱え、混乱してしまっているのです。だからこそ、一人一人の精神修行が大切なのです。」


この話を聞いて、精神世界にも宗教にも興味のなかったCさんは、「???」となってしまいました。

「これまで精神世界にも宗教にも関心はなかったのですが、自分自身、どこか“このままではいけない”という思いがあったので勉強してみることにしました。そこで、精神世界に詳しいAさんと宗教に詳しいBさんに、どうすれば幸せになれるのかと相談してみたのですが、余計どうしたらいいのかわからなくなっちゃったんです。Aさんは、人間は完璧な存在だと言っています。一方Bさんは、人間は不完全な存在だと言っています。お話を伺えば、どちらも“なるほど”と頷けることを話してくれます。だから、余計にわからなくなるんです。どちらも真実を突いているように見えるのですが、結局のところ、どっちがホントなんですか?この先私はどちらの話を信じればいいんですか?私は、このままでいいの?それとも、やっぱり何か修行をしないと幸せになれないの?」


宗教・哲学・スピリチュアリズム・引き寄せの法則etc...

色んな本を読んでみたけれど、余計こんがらがっちゃってワケがわからない。

「私の幸せって、いったいどこにあるのぉぉぉぉ!?」


そんなCさんの様子を見て、宗教や精神世界を毛嫌いしているDさんがこう言います。

「フン。これだから精神世界や宗教ってのは怪しいんだ。いいこと言ってても結局そうやって不幸な人を増やしてるじゃないか。まぁ、そういう不幸な人を客として一稼ぎするのが宗教や精神世界というビジネスのやり方なんだろうけどさ。だから良識人は宗教や精神世界なんかに嵌らないものだよ。Cさんもどっぷり嵌る前に早く目を覚ました方がいい。宗教も精神世界も、結局は不幸な人のたまり場、お互いの傷の舐めあいをしているだけなんだから。幸せになりたいと言うのなら、まずはそういう不幸な人が集う場から離れるのが賢明だと思うけどね。」





あははは。自分で書いてて可笑しくなってきちゃった。

どう? 結構ありがちな状況を捉えられてると思うんだけど。


お察しのとおり、実はAさんもBさんも、同じ話をしているんです。一見矛盾しているように見えますが、両者がCさんに伝えたがっている内容は同じなんです。


では、さっそく話を進めていきましょう。

まずはAさん、Bさんのお話を振り返ってみましょう。


自称スピリチュアリストAさんは「アナタは完全・完璧な存在です。ありのままのアナタを受け入れましょう。」と言いました。

自称宗教家のBさんは「人間は不完全。だからこそ、一人一人の精神修行が大切なのです。」と言いました。

この両者のお話を「平面的」に捉えると、全く逆の事を話しているように見えます。

Cさんの混乱は、まさにこの「平面的な捉え方」によって生まれてしまいました。

※物事の捉え方についての参考記事はこちら、2007年03月28日投稿「視点.3」をご参照ください。


Cさんはこの時、Aさん、Bさんの話の「主語が違う」ことに気付いてなかったんです。

これは、さわらさんのコメントの通りですね。

Aさんは「アナタ」という単語に「存在の本質(真我)」という意味を持たせていました。

Bさんは「人間」という単語に「幻想の自分(自我)」という意味を持たせていました。


主語が違っていたので、真逆のアプローチになっていたんです。

アプローチの仕方は違いましたが、両者がCさんに伝えたかったことはただひとつ。

それは…

「アナタはまだ、本当の自分に気付いていない。」ということ。


さてここで、さきほどまで「平面的」であった両者の話を「立体的」に解釈するため、統合してみましょう。

両者の話を簡単に組み合わせるとこうなります。


『人間という存在は、完璧だけど不完全。』


これが、真実です。

そうは言われても、Cさんはやっぱり言葉に矛盾を感じてしまいます。

「“完璧だけど不完全”じゃ、意味をなさないじゃないですか。」


うん、Cさんのお気持ちは良く分かります。でも「完璧だけど不完全」でいいんです。

それはこういう事です。「不完全」という言葉の理解の仕方にあるんです。


「不完全」という言葉には、2つの意味が見いだせます。

1.完全でないこと。

2.必要なモノが欠けていて不十分であること。


Bさんは、(1)の意味で「不完全」という言葉を使用しました。

一方Cさんは、(2)の意味で解釈しています。

この、言葉の意味の食い違いが、コミュニケーション不全を引き起こしていたんです。


Bさんは「アナタには何かが欠けている」とは言っているつもりはありません。「アナタ本来の完全性を妨げているモノがある」と言っているのです。


それを図にするとこんな感じ。




これで、AさんとBさんが同じ話をしているということが見えてきたかと思います。

昨日ご紹介したAさんとBさんの話を、ここで改めて統合し、文章化してみましょう。

「アナタという存在の本質は完全・完璧なものです。アナタはアナタのままでいいのです。ですから、他の何者かになろうなんて、エゴを肥大化させる様な努力は必要ないのです。さぁ、ありのままの状態(真我)を発見しましょう。アナタがこれまで苦しんできたのは、また、なにかしらの不満を抱えていたのは、その人生に何かが欠けていたからではありません。幻想の自分(固定化した思考)に飲み込まれ、本来の完全性を発揮出来ていなかったからなのです。アナタが幻想の自分から離れ、ありのままの状態であるために精神修行が必要となるのです。“必要となる”と言っても、それは物質や新たな知識を得ることではありません。完全性を妨げるモノを手放していくことなんです。」


(ここまで)
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ありがとうございます。

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