罠
「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」から
元記事
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/24eb54b98f9be0802535d5eb08bc8d20
(ここから)
さて、先日「境遇と幸福は別物」という、自分で仕掛けて自ら嵌っている罠をご紹介させていただいたワケですが、他にもいくつかの罠が存在しています。
そのキーワードの一つとなるのが「思い込み」です。
スピリチュアル系のあれこれや、自己啓発系のあれこれに登場する、「幸せに気付くこと」という事柄を「自分の境遇が幸せであると思い込むこと」と解釈してしまっている方々が多く見受けられますが、これって違うと思うんです。
一例を出しますと、「ついてる」とか「ありがとう」を呪文のように唱えるあれね。
自分が「不遇」と感じている感情を無理矢理押し込めて、「幸運である」と思い込もうと努力している姿は、見ていてちょっとやるせない。
ホントは「それって、ちょっと違うと思うよ。」って言いたいんだけどさ、方向性がどうであれ、その人はその人で必死に努力しているワケだから、「何を知ったふうにッ!!」って逆ギレされちゃうんだよね…。
でも、
「気付くこと(理解すること)」と「思い込むこと(信じること)」は、似て非なるものです。
同じように見えても、全然違うことなんです。
上手く伝わるかなぁ…
「信じる」という行為は、「認めていない・理解出来ていない」という感情の裏返しです。
「神の存在を信じる信じない」みたいな話だと、ちょっと分かりづらいんで、「お母さん」を例に取ってみましょう。
あなたは、あなたのお母さんの事を、自分の母であると「確信」出来ています。
それなのに、「この母を、自分の母だと信じています。」って言ってたら、何だか変ですよね。
信じるとか信じないとかいうレベルじゃなくて、「理解」してますでしょ。
でも、「自分の母だと信じよう!」ってしてたら、やっぱりそこには「この人は、もしかしたら私のお母さんじゃないかも知れない…」みたいな「疑い」が存在しちゃってる。
「信じる」は、そこに「疑いの余地がある」ってことなんです。
「幸福だと思い込む」っていうのは、「私は幸福かもしれない、不幸かもしれない。でも、幸福っていうことにしておこう。」ということであって、「幸せを感じよう。」ということではなくなっているんです。
(  ̄Д ̄) 『「思い込み」はTHINK、「理解」はFEEL。』
う~ん。伝わるかなぁ…
(ここまで)
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ありがとうございます。
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