行苦
「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」から
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/cfb0aee14ff72107bbcf6ab7be68df50
さて、お待たせしました。
どこまでまとまるか分かりませんが、連載の続きを書いてみようと思います。
ということで今日は「行苦」のお話。
僕の場合「行」っていう字面を見ると、何となく「修行」のイメージに結びつけちゃいがちなところがあるんです。
なもんだから、はじめは人生を「修行」と捉えて、その「修行が苦」とか、その手の話かと思ってたんですけど、全然そういう事じゃないんですね。
「修行」の「行」じゃなくて、「諸行」の「行」なんだそうです。
「諸行」を辞書でひきますと、『因縁の和合によってつくられる、この世の一切の事物・現象。万有。万物』とあります。
なので「行苦」を平たくすると「この世のありとあらゆるものが苦」といった感じ。
なんだけど…
これをね、どういうアプローチで説明したらいいのか、ホントにわからなくなるんです。
( ̄д ̄;) 「う~ん。困った」
(  ̄Д ̄) 『いや、べつに説明に困ることはないだろ。そのままなんだから』
( ̄д ̄;) 「そのままって?」
(  ̄Д ̄) 『そのままだよ。ありとあらゆるものが苦なんだ。“この世”には苦しかない』
( ̄д ̄;) 「いや、そんなことないでしょう。勿論人生にはストレスがつきものだし、大変なのもわかるけど、『苦しかない』ってことはないですよ。心地いいことや楽しいことだって沢山ありますもの」
(  ̄Д ̄) 『いや。そこが勘違いなんだ。前にも話したことだよ』
( ̄д ̄ ) 「え? 前に聞きましたっけ?」
(  ̄Д ̄) 『随分と前になるがね。覚えてないかな。お前がこのブログを書き始めて間もない頃だ。過去ログを検索してごらん』
ということで検索してみましたら…確かにありました。
2006年7月31日の記事。
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(゚ー゚*?) 「僕たちが最終的に目指しているゴールって何?」
☆『究極の幸せ(不変の幸せ)を見つけること。…ただし、残念だが「この世」には、「究極の幸せ」は、無い。』
Σ( ̄ロ ̄lll) 「うわっ!無いって言い切っちゃた…。」
☆『そう、無い。その正体が見えるのは「霊界」に入ってから。今はまだ、霊界に行くためのトレーニング中だ。』
『ただ、このトレーニングが、「究極の幸せ」に向けて行われていることに間違いはない。だから、人間は日常の中で常に「幸せ」を探している。「もっと幸せになりたい」と願っている。しかし、この「幸せの本質」を理解していないから、おまえたちはもがき、苦しんでいるのだ。』
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(*ノノ) 「わぁ。いまとは随分と書き方が違いますね。顔文字の雰囲気も違うし、雲さんのセリフも☆印になってる。なんだろう、この微妙な恥ずかしさは」
(  ̄▽ ̄) 『思い出したかい?さて、それじゃぁそろそろ、あの時の話の続きをしようじゃないか』
コメント
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いるかのコメント
昨日の記事の「分離感」×「恐れ」=「苦しみ」、苦しみの源泉、全ては一つ(ワンネス)からひとつである事を、地球人をコントロールする支配者から、隠し教えられず事無く、潜在意識に思わされた事であると思います。苦しみは、人に比べて自分はどうのとか、現実の中の相手に対する怒り、内なる思考の現れの現実の中の恐怖を思考する事で始まりのではないでしょうか。
現実に起きる事に、良いも悪いも無いとニュートラルに感じ、思考を判断する事無く、思考が現実になるのですから夢中になれる楽しい事をしていれば苦は無い、苦の根源は自分の思考であるとアシュタール、さくやさん、バシャール、コクサイさん、みつろうさん・・・、が伝えていると思います。
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引き寄せの法則、宇宙の法則