瞑想について | 地球の愛と光・本来の姿へ

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本来、人生を楽しむために生まれてきました。
ですが、恐怖、心配する価値観を教えられてきました。
恐怖思考が現実になります。恐怖を捨て愛と楽しい思考に!
年々、気が付く人が増え、本来の地球に変わる時期が来ています。
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瞑想について

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まず最初にお話しておきたいのは、先日ツイッターで呟いてもみたのですが、僕のスタンスは、『言葉に縛られちゃいけない。誰がなんと言おうと、あなたが納得するカタチで幸せになれればそれでいい』というものです。

これは勿論、僕の言葉も同様です。

ここに書かれているものが気にくわなかろうが、信じられなかろうが、腹が立とうが、それはそれで構いません。

そしてまた、「コレが絶対の真実である」なんてことは言いません。

僕は自分の実体験に照らし合わせながら、確実だと感じている事を書いておりますが、その中には間違いがある可能性もあるでしょうし、表現の未熟さもあるでしょうし、僕に当てはまっても誰かにとっては当てはまらないこともあるでしょう。

それに、これは僕自身がずっと試行錯誤し続けていることですが、僕の伝えたい趣旨と、読者の皆さんの受け取り方との間に、大きな違いが生まれることは多々あります。

だからこそ、僕の話は、誰かに無理強いしているものではないということを、ご承知置きください。


さて、それを踏まえまして、再度お話に戻りたいと思います。


まずは、坐禅好きさんから頂いたコメントです。


*****

黒斎さん
>ただ座っていても、速やかなシフト(意識・エネルギーの変容)や、カルマの理解が進みません。

と断言的に書かれていますね。
カルマを理解するのは誰でしょう?少なくともあなたの言う潜在意識ではない。潜在意識はすでに知っているから。

「只管打坐」という言葉をご存知ですか?

ただ座る、徹底的に座る、座るに成り切るという事です。
断言的にものを書く前に、坐禅なども勉強されなされ。
思考が止み、深く入れますから。
しかも無料です。

*****



なるほどご指摘の通りです。

確かに自分でも読み返すと、誤解を与える表現をしているなって思いました。

多分、坐禅好きさんが反応されたのは、特にこの部分だと思います。

「ただ座る」という、この言葉。

ここに、僕と坐禅好きさんのボキャブラリーの相違があったのだと思います。

そしてまた、その「ただ座る」と「イニシエーション」が比較されて語られているように感じられた、ということではなかろうかと。

その上で、僕の記載を訂正させていただけば、僕がお話したかったのは『闇雲に座っていても、速やかなシフト(意識・エネルギーの変容)や、カルマの理解が進みません』というニュアンスです。

坐禅好きさんの言うところの「ただ座る」を否定しているわけではないのです。

むしろ、言いたいことは多分、坐禅好きさんと同じなんだと思うんです。(違ったらごめんなさい)


確かに、坐禅好きさんのご指摘のとおりで、「ただ座る、徹底的に座る、座るに成り切る」という事が出来ればよいのです。

ただし、その「ただ座る」という至極シンプルなはずのことが、容易ではなくなっているというお話をしていたんです。

「ただ座る、徹底的に座る、座るに成り切る」ということを容易に体現できる方には信じられないかもしれませんが、これが、凡夫の我々にとっては容易ではなくなっているのです。


できる人は言います。「ただ、座れ」

しかし、凡夫はその言葉に「で、どうやって?」となってしまうのです。


この、「どうやって?」から「ただ座る」に至る、この間に、どうしても思考では超えられない一つ目の「何か」があるのです。

だって、「ただ座る」に理屈も思考もへったくれもありませんから。

むしろ、その理屈や思考とは無縁だからこその「ただ座る」ですから。

それなのに「理屈を落とす理屈探し」に嵌ってしまうのです。

そのギャップを超えることも、人によってはとても困難な場合があります。

僕も、そのひとりでした。

「ただ座る」

これが、すぐに理解できないのです。

僕がお話しているのは、まず、その段階からのことなんです。

そしてまた僕がこのブログでチャレンジしているのは、「理屈を落とす理屈探し」を可能にする理屈の展開です。

理屈は理屈ですから、どこまで行っても理屈はなくなりません。

しかしながら、理屈探しをやめようと思える屁理屈は提示できるかもしれない。

そういう悪あがきです。


>カルマを理解するのは誰でしょう?少なくともあなたの言う潜在意識ではない。潜在意識はすでに知っているから。


仰るとおりです。

だからこそ、ここ最近僕もこう書いているのです。

「それを知ろうとしている顕在意識を鎮めることで、既にそれを知っている潜在意識が露わになってくる、ゆえに知る」と。

そして、その顕在意識を鎮めるには、それを知ることを追うのではなく、静寂にあること。

つまりは、「ただ座る」こと。

が、しかし、その顕在意識がすっかり定着しているからこそ、その「ただ座る」がわからない、というこのグルグルをお話しているわけです。

そして、僕がオススメしますとお話したイニシエーションのお話は、そのステップと、さらにその先のプロセスを容易にすることができますよ、というものです。

そういう意味では、確かに、坐禅好きさんには必要のないものなのかもしれません。

そしてまた、まどろっこしいと感じられるのかもしれません。


勿論、無理強いなんてしませんよ。

実際、必要のない方には必要のないものでしょうから。

しかし、このイニシエーションを受けたことが、大きな気づきやさらなる理解に繋がったと実感されている方が、多数いらっしゃることも事実なんです。

僕自身も、そう実感しています。

だからこそ、関心がある方には、オススメしたいのです。


とはいえこのことも、厳密には、客観的な観測からお話するのはとても難しいものなんです。

というのも、(他の何かと同じように)「それを行った場合」と「それを行わなかった場合」の結果を、比較検証することが不可能だからです。

行った場合は、行った場合の経験しか得られず、行わなかった場合は、行わなかった場合の経験しか得られない。

当たり前の話ですが、それゆえ、「コレをしたから、こうなった」もしくは「しなかったから、こうなった」という、明確な因果関係を示すことができないんです。

ましてや「瞑想」という主観に基づく内容で、これを話すんですから、そりゃ難しいわけで…。


で、再度話を戻して、この「ただ座る」の話を突き詰めてしまえば、先ほどタンジョウビオメデトウゴザイマスさんがコメントしてくれた通りになってしまいます。

別に「座る」じゃなくてもいいわけで。


>ただ自然を感じ、ただご飯を食べ、ただ会社に行き、ただ笑い、ただ怒り、


こうなりますよね。

そして、ご指摘のとおり、本当に、それだけで良いはずなんです。


だけど、その「ただ」がわからなくなってしまっている。

そして、闇雲に自然を感じようとし、闇雲にご飯を食べ、闇雲に会社に行き、闇雲に笑い、闇雲に怒り…

と、そうなってしまっている。

そして、そこから抜け出せず(もしくは気づきもせず)、闇雲に生きてきた結果が、いま我々の前にあるこの現実です。

そして、この「ただ」を思い出すことができたなら、それこそが「アセンション」ではないでしょうか。

そして、多くの人が、その「ただ」を思い出した時、そこに「パラダイムシフト」が起こるのではないでしょうか。



で。最後に。

今回のお話、また、これに限らず精神世界系でも特に話題になりがちな「お金」について。

これについては、また全く別な観点の話かと。

「無料だから良い、有料だから悪い」、また逆に、「無料だから悪い、有料だから良い」ということは、それだけでは話せないことだと思います。

無料には無料のメリット・デメリットが、有料には有料のメリット・デメリットが見いだせます。

それに、僕だって「有料だけをすすめる」なんてことはしていませんよね?

あくまで選択肢の一つとしてご紹介しているわけです。

じゃなきゃ、こうして僕なりのメソッドをご紹介してるのも辻褄が合わないじゃないですか。

深呼吸だってジャンプだって、場合によっちゃ割り箸だって無料ですよ(笑)


そしてまた、価格の妥当性を問うのであれば、無料有料にかかわらず、それは、価値とワンセットで検討されるものだと思います。

その価値が分からない時点では、良いも悪いも分からないのが本当なわけで。

もっといえば、これまでお話してきたとおり、価値というのは、「そのもの」にあるのではなく、僕たちがその価値を与えるか(見出すか)どうかという話なわけで。

そしてまた、なんでもかんでも「お金と悪意」や、「支払いと損失」を結び付けるのも変な話ですし。


ということで。

長くなりそうなので、お金の話はまた別な機会にさせてください。


それと、心配していますさん。

ご友人がどのような情報に触れられたのかはわかりませんが、僕が検索したかぎりでは、書き込みいただいたような内容は見つけることができませんでした。

どなたかがコメントしてくれていましたが、公式サイトでは、まったく違う記載内容となっています。

ご確認ください。

P.S.

※もし、僕の話とは別に、この「お金」や「価値」というものを見つめ直したい方がいらっしゃいましたら、一度参考にして欲しい本があります。

既にご存じの方も多いかとは思いますが、『まっかなトマト』という絵本です。

「お金」や「価値」、また「豊かさと清貧思想」などへの考察については、これまで何度かご紹介してきた池田晶子さんの著書類にも何度か登場していますが、こちらは絵本という手に取りやすく、また非常にわかりやすい表現のものですので、ご一読をオススメします。

その際は、ぜひ「あとがき」までお目通しいただきたいと思います。

勿論この本の読み方にも、人それぞれの個性が表れるのでしょうが、僕に取っては非常に共感できるものでした。


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ありがとうございます。

引き寄せの法則、宇宙の法則