また福島で会いましょう(・∀・)

また福島で会いましょう(・∀・)

福島県双葉郡大熊町で生まれ育った私が、東日本大震災が発生してからの日々を綴ります。

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2011年3月14日


朝早く、一本の電話で飛び起きる

いとこ宛にかかってきた電話はの主は、私の父

「今から、また別の避難所に向かうことになった」

という内容だった

私の携帯が繋がらず、いとこの携帯にかけてきた


電話を変わってもらったが、避難所に食料が届いたということで、昨日とは違い、とても落ち着いた声だった

「避難も、もう慣れたものだ」

と笑えるほど元気だった

昨日、食べ物が無くて「もう会えない」と憔悴しきっていた父とは、まるで別人

本当に安心した

「全世界から救助隊が助けに来てくれている。自衛隊や全国の人が、食料をたくさん運んでくれているから、大丈夫だよ」

私は、そんなことを言った


その後、まだ連絡が取れていない親戚の消息を探すことにした

この頃になると、10回に1回くらいは携帯が繋がるようになっていた

私といとこは電話を掛けまくった

そして、震災発生から3日たったこの日

すべての親戚の無事が確認できた

私たちは本当に幸せだ


しばらくして、またいとこの携帯に私の父から連絡が入る

「今からタクシーで那須に向かう。那須で何泊かするので、申し訳ないが車で迎えに来てもらえないか。」

とのことだった

どうやら、私の姉の家に避難することにしたらしい

父は、なんとかタクシーを見つけ、祖母と親戚の叔母さんを連れて那須に向かっていた


彼が迎えに言ってくれると言ったが、神奈川の叔父さんもすぐ迎えに行ってくれるということで、

神奈川の叔父さんと私で迎えに行くことにした

明日の朝、那須塩原で待ち合わせ

やっと、父と祖母を助けに行ける


その頃、関東地方では計画停電の発表がされていた

5つのグループに分け、時間を区切って強制的に停電をするというもので

もちろん、福島第一原発の事故により供給電力が足りなくなっての処置だ


一家の主婦であるいとこは、必死にテレビをチェックし、

生活スタイルを大幅に変えなければいけないと言っていた

朝が計画停電になれば、時間をずらして子供たちに朝ごはんを食べさせなければならない

夜が計画停電になれば、早めに子供たちをお風呂に入れてご飯を食べさせなくてはならない

しかし、テレビは細かい地域の発表はしない

詳しくは東京電力のHPでなどと言っている

まったく不親切だ

HPなど見れないお年寄りなどはどうするのだろう


この日から、電車も節電で本数の削減、運休が始まった

多くの人はは電車が動かないので会社にさえ行けなくなっていた


夜、少ない電車をどうにか乗り継ぎ

神奈川の叔父さんの家に向かった

明日は、父と祖母を助けに行ける


それでも、あんまり眠ることは出来なかった



2011年3月11日


眠れなかった


テレビを見る

さまざまな国から支援が始まる

救助隊も駆けつけてくれている

本当にありがたい


父と祖母とはまだ連絡が取れない

もしかしたら、充電が切れてしまったのかも


しばらくして

あ!父から電話!!

良かった!!

私「テレビで避難してるって見てたよ」

父「今は田村市にいる」

私「大丈夫?」

父「大丈夫…ではないな」

父はとても弱気にこう言った

父「もう食料が無いし、ガソリンも無いから移動出来ない。

最後に電話が繋がって良かった。もう、会えないと思う。

頑張って生きるんだよ。」


私はパニックになった

涙がとめどなくあふれる

助けに行くからと言っても、父は断固として来ちゃいけないという

一体何が起こっているのか?

この電話を切ってはいけない

必死に話続ける

「また絶対会えるから頑張ってね」

電話が切れてしまう


パニックで泣きじゃくる私は、神奈川のいとこに電話をする

父からこんな電話があったと話す

いとこは冷静に

「大丈夫、たぶん被災地の人は情報が何もないから弱気になるんだよ。

今、食料とか物資が被災地に向かってることも知らない。救助隊が向かっていることも知らない。

ただ、目の前の食料が無いことしか知らないんだよ。大丈夫、大丈夫」

私を心配してくれたいとこは、とりあえず神奈川においで一緒にいようと言ってくれた

私はしばらく、神奈川のいとこの家にお世話になることにする


彼に連絡

父からこんな電話があり、一人で家にいるのは不安なので、いとこの家にしばらくいます

彼は

父を迎えに行こうと言ってくれた、福島に行ける道があるか調べてくれると

なんて嬉しい言葉だろう

ありがとう


電車に乗っていとこの家へ

町はなんて平和でいつも通りなんだろう


駅でいとこと待ち合わせ、子供たちと車で迎えに来てくれる

車に乗るといとこがおにぎりを作ってきてくれていた

そういえば、ずっとごはんを食べていない

ありがたい


小さい子供たちは、いつも通り無邪気でとても癒される

スーパーに寄る

やはり、棚のほとんどが空っぽ

子供たちは

「わー、パンが消えてるー」

とはしゃいでいた


いとこの家に到着

ここでもテレビに釘付け

途中、緊急地震速報が何回も流れる

緊急地震速報がなると、すぐ子供たちは脅えた顔で抱きついてくる

「大丈夫だよ」

私は子供たちを抱きしめる

小さい子は本当に敏感だ

被災地の子供たちは、一体どれほどの恐怖を味わっているのか


夜、神奈川の叔父から連絡があり

テレビに大熊町の避難所が映っているという

すぐチャンネルを合わせ、テレビを見る

大熊町の教育長がインタビューを受けていた

この教育長、私の中学時代の校長先生

とても嬉しくなる

その後ろには、避難している人たちが少し映っている

父と祖母を必死で探すが映らない

もっと、避難してる人を映してほしい

終わってしまう

いくつかの場所に分かれて避難しているようなので、ここではなかったのかもしれない



この日は、子供たちの明るさに助けられ

安心して眠りにつくことが出来た



2011年3月12日


1時間くらい寝て、起きる

すぐテレビに釘付け

津波の被害の大きさに愕然とする


まだ福島の誰とも電話が繋がらない


彼が仕事に行くので、私も一緒に家を出る

早く福島に助けに行きたい

ホームセンターに行き、福島に持っていく食料・備品を買いに行く

ホームセンターは大勢の人でごった返していた

懐中電灯・ろうそく・乾電池・カップラーメン・水を手に入れる

今思うと、恥ずかしながら買いだめ行動をしてしまった

みんな、何故かトイレットペーパーを大量に買っていた

なんでだろう?


スーパーに向かう

信じられないくらい品物が無い

自分の食料にさえ、危機を感じた

とりあえず、家にあるもので食べつなごう


家に帰り、トランクに食料・備品を詰め込む

いつでも福島に向かえる


テレビを見る

原発周辺住民が避難していることを知る

きっと、みんな避難したんだ


ビービー

緊急地震速報が絶え間なく鳴り響く

ぐらぐら

また地震だ


まだ福島の誰とも連絡が取れない

あ!弟から電話!

奇跡!

私「大丈夫なの?」

弟「今、お母さんと避難してるよ」

良かった!

母と弟は、浪江町に住んでいた

地震の後、同じく浪江町にある叔母の家に避難していたが

避難区域が3キロから10キロに拡大したため、母の実家のある南相馬市に避難していた

母の実家は、原発からおよそ16キロ


とりあえずは無事確認

父と祖母は大熊町に住んでいる

弟いわく、地震の後すぐ祖母とは連絡が取れているとのこと

これまた安心

私からの電話が通じないので、定期的に電話が欲しいと弟にお願いする

電話を切る


またテレビに釘付け

が…

信じられない映像を目撃

原発が爆発した


え?え?

どういうこと?

原発から3キロ地点で救助を待ったていた双葉厚生病院の職員・患者の被ばくが報道されている

“被ばく”??

しばらくして、避難区域が10キロから20キロに拡大

これ以上どこに避難しろと?

テレビを見ることしか出来ない私は、本当に無力だ


父と祖母とは、まだ連絡が取れない

きっと今は避難で、連絡どころではないだろう


夜、弟から連絡があり、母の実家から別の親戚の家に避難すると連絡がある

その親戚の家は原発からおよそ22キロ


東京にいる地元の友達と連絡を取る

友達の親は田村市に避難しているとのこと

どうやら大熊町が用意したバスで皆移動しているらしい

父も祖母もそこに一緒にいるだろう


またテレビ

避難所では食料が無い、寒さをしのぐ物も無い

津波をかぶったまま、避難所にいる人もいる

お風呂も無い、着替えも無い

それに何より、家族と連絡が取れない…



これは夢かもしれない

まだこの時はそんなことを考えていた